ドン・ロドリゴ (どん・ろどりご)
【概説】
1609年に上総国(現在の千葉県)に漂着した、フィリピン(ルソン)の元臨時総督。大御所・徳川家康や将軍・徳川秀忠と会見し、初期の江戸幕府における日西(日本とスペイン)の通商交渉に深く関わった人物。翌1610年、家康が提供した洋式帆船でメキシコへ帰国する際、京都の商人・田中勝介らを同行させ、太平洋横断への道を開いた。
サン・フランシスコ号の漂着と劇的な救出
1609年(慶長14年)、フィリピン総督の任務を終えてマニラからノビスパニア(新スペイン/現在のメキシコ)へと向かっていたドン・ロドリゴ(ロドリゴ・デ・ビベロ)の乗船「サン・フランシスコ号」は、太平洋上で激しい暴風雨に遭遇した。船はコントロールを失い、上総国岩和田村(現在の千葉県御宿町)の海岸に座礁・沈没した。
この危機に際し、現地の漁民たちは凍える漂流者を自らの体温で温めるなどして救助し、約300人の命を救った。この人道的な救出劇は、日本とスペインの交流史における象徴的な出来事として、今日でも語り継がれている。
徳川家康・秀忠との会見と外交交渉
江戸に送られたロドリゴは、2代将軍・徳川秀忠と会見し、続いて駿府(現在の静岡市)に赴いて大御所・徳川家康と公式に会見した。家康はかねてより、スペインが領有するノビスパニアとの直接交易や、銀の精錬に不可欠な最新の鉱山技術(アマルガム法)の導入を望んでいたため、ロドリゴの漂着を絶好の外交チャンスと捉えて大いに歓迎した。
ロドリゴは家康に対し、カトリック宣教師の布教の自由や、スペイン船の自由な寄港などを求めた。家康はこれを確約することは避けたものの、通商関係の構築に向けて前向きな姿勢を示し、ロドリゴに対して手厚いもてなしと帰国のための支援を約束した。
サン・ブエナ・ベントゥーラ号での帰国と太平洋横断
1610年(慶長15年)、家康はイギリス人三浦按針(ウィリアム・アダムス)に命じて伊豆国で建造させた洋式帆船「サン・ブエナ・ベントゥーラ号」をロドリゴに与えた。ロドリゴはこの船を用いてノビスパニアへの帰途に就くこととなった。
この際、家康は自らの使節として、京都の商人であった田中勝介(田中勝助)ら約20人の日本人を同行させた。彼らを乗せた船は無事に太平洋を横断してメキシコのアカプルコに到着し、これが日本人の手による初の実質的な太平洋往復(帰路は別の船)の快挙となった。このロドリゴの送還と田中勝介の派遣は、のちに伊達政宗が派遣する慶長遣欧使節(支倉常長ら)へとつながる、江戸初期の積極的な「太平洋外交」の先駆的な試みであったといえる。