竹原古墳

重要度

竹原古墳 (たけはらこふん)

6世紀後半

【概説】
福岡県宮若市(旧若宮町)に所在する、古墳時代後期の円墳。横穴式石室の玄室奥壁に、ゴンドラ形の船や馬、魔除けの怪獣などが鮮やかに描かれた、日本を代表する装飾古墳の一つ。

奥壁に描かれた図像と古代人の死生観

竹原古墳の最大の特徴は、横穴式石室の玄室奥壁に見事な障壁画が残されている点にある。この絵画は、赤(ベンガラ)と黒(炭)の2色の顔料を用いて具象的に描かれており、当時の人々の他界観や信仰を今に伝える極めて貴重な史料である。

画面中央には、波間に浮かぶ2艘のゴンドラ形の船が描かれており、そこには魂をあの世へ運ぶ先導者とされる挙手した人物や、霊魂の象徴である鳥が配されている。また、船の間には手綱を引く人物を伴ったが描かれており、これは被葬者の生前の愛馬、あるいは死者の乗り物としての意味を持つとされる。さらに、画面の右側には牙をむき出し尾を立てた巨大な怪獣(中国の四神における「玄武」や魔除けの獣とされる)が、左側には邪悪なものを防ぐや同心円文が描かれており、全体として被葬者の魂が安全に死後の世界(他界)へ旅立てるようにという願い(辟邪・魔除け)が込められていると考えられている。

東アジアとの文化交流と筑前地方の有力豪族

竹原古墳が築造された6世紀後半は、朝鮮半島からの渡来人の流入や、それをもたらした東アジア規模での交流が活発に行われた時期にあたる。竹原古墳の障壁画に見られる怪獣や馬の表現、さらには象徴的な図像構成は、高句麗や百済などの朝鮮半島の壁画古墳、ひいては中国大陸の神仙思想や四神信仰の影響を強く受けたものである。

この古墳が位置する遠賀川流域(犬鳴川沿い)は、対馬海峡を介して朝鮮半島や大陸へと繋がる交通の要衝であった。このような場所に竹原古墳が築かれた事実は、この地を治めていた有力豪族(筑紫君の一族や宗像氏との関連が指摘される)が、ヤマト政権を通じた、あるいは独自のルートによって、東アジアの最先端の技術や精神文化を主体的に受容していたことを明確に物語っている。

装飾古墳の世界 国立歴史民俗博物館

色鮮やかな文様や記号が刻まれた装飾古墳の謎と、その背後にある古代日本の精神性を解き明かす一冊。

古墳時代の王権と集団関係

考古学の視点から古墳時代の人々の階層や集団構造を読み解き、当時の王権の成り立ちを考察する重厚な研究書。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 中国地方などで利用された黒曜石の産地として知られる、島根県沖の日本海に浮かぶ島はどこか?
Q. 寺院の金堂の手前に、2つの塔(東塔・西塔)が左右対称に配置される伽藍の形式を何というか?
Q. 更新世の中で、地球が寒冷化して氷河が拡大し、日本列島が大陸と陸続きになりやすかった時期を何というか?