稽古談 (けいこだん)
1813年
【概説】
江戸時代後期の経世家である海保青陵が著した政治・社会評論書。武士も商人のように利益を追求し、領内の特産物の専売などを行うべきだと主張した、徹底的な重商主義的・合理主義的な経世論の書。
徹底した市場経済の肯定と「藩の企業化」
江戸時代後期、貨幣経済と商品流通の急速な進展によって、農業生産(米)を財政基盤とする幕藩体制は深刻な行き詰まりを見せていた。こうした中、儒学者・経世家であった海保青陵は、1813年に著した『稽古談』において、従来の「農本主義(重農主義)」的な財政再建策を強く批判した。青陵は、宇宙のすべての法則は「売買(交易)」によって成り立っていると考え、武士や大名も商業活動を恥とするべきではないと主張した。具体的には、藩主が商人となって領内の特産物を買い上げて他国に売却する専売制(国産専売)を推進し、積極的に利潤を追求することで財政を再建すべきだと説いた。この藩を一種の企業とみなすような重商主義的思想は、同時代の諸藩における藩政改革(特に専売制を主軸とした財政再建)の理論的な裏付けとなった。
従来の武士観の否定と契約思想の萌芽
『稽古談』の極めてユニークな点は、経済政策の提案にとどまらず、支配身分であった武士のあり方や主従関係にまで市場原理を適用したことにある。青陵は、大名が家臣に与える知行(俸禄)を「手間賃」と呼び、主従関係を絶対的な道徳的絆ではなく、労働と対価による一種の「雇用契約」であると見なした。これは、「義を重んじ利を卑しむ」ことを美徳としていた朱子学的な封建道徳を真っ向から否定する合理主義的な思想であった。化政文化期の現実的な社会情勢を背景に、倫理や身分格式を排除して社会をありのままに分析しようとした『稽古談』は、日本における近代的経済思想の先駆的な史料として高く評価されている。