物忌
【概説】
陰陽道の占いや暦の吉凶に基づき、不吉な事態や穢れの付着を避けるため、一定期間自宅に籠もって身を慎む行為。平安時代の貴族社会において、日常生活や公務を規定する強力な行動規範として機能した生活慣習である。
陰陽道の浸透と物忌の社会的背景
平安時代、律令制の弛緩に伴い政治的・社会的な不安が増大すると、天変地異や疫病、個人の不幸などを怨霊や神仏の祟りと結びつける思想が強まった。これに伴い、星や暦の動きから吉凶を判断する陰陽道(おんみょうどう)が貴族社会に深く浸透していった。
貴族たちは、陰陽師が作成した暦や「勘申(かんじん)」と呼ばれる占い結果を極めて重視した。そこで「凶」と予言された日や、悪夢を見た際、あるいは他者の死や出産などの「穢れ(けがれ)」に触れたと判断された場合、災厄を未然に防ぐために行われたのが「物忌」である。これは単なる個人的な迷信ではなく、公務の欠勤理由としても公に認められるなど、当時の社会秩序を動かす重要因子であった。
物忌における具体的な生活規制と「方違」
物忌の期間に入ると、貴族は自宅の門を閉ざし、外部からの訪問者を一切拒絶した。その際、門には「物忌札(ものいみのふだ)」と呼ばれる木札を掲げ、周囲に自らが物忌中であることを示した。内部では、衣服を清浄なものに替え、言葉を慎み、読経や精進に励んで静かに過ごした。他者への手紙の送受信さえも忌避されることがあった。
また、目的地が不吉な方角(塞がり)にある場合に、前夜に別の方角の邸宅へ宿泊して方角を変えてから目的地へ向かう「方違(かたたがえ)」も、物忌と表裏一体の習慣として頻繁に行われた。これらの慣習は、貴族たちの自由な移動や行政執行を物理的に大きく制限することとなった。
平安文学にみる「物忌」の文化的側面
厳格な宗教的タブーであった物忌だが、時代が下るにつれて、貴族たちの人間関係や生活の知恵としても活用されるようになった。王朝文学の傑作である『源氏物語』や『枕草子』などには、物忌を口実にして煩わしい公務や気の乗らない面会、あるいは言い寄る異性からの訪問をスマートに断る場面がしばしば描かれている。
このように物忌は、超自然的な恐怖から身を守るための防衛策であると同時に、平安貴族特有の優雅で屈折した人間模様や、特有のコミュニケーション文化を生み出す背景にもなっていたのである。