瀬戸大橋 (せとおおはし)
【概説】
岡山県と香川県を結び、1988年に開通した世界最大級の道路・鉄道併用橋。瀬戸内海をまたぐ10の橋の総称であり、本州と四国を陸路で直結した昭和後期における国家的な超大型インフラ整備事業の結実。同年の青函トンネル開業とともに、日本列島が陸路で一体化する「一本列島」を実現させた。
悲願の架橋計画と紫雲丸事故
明治時代の大久保諠之(香川県議会議員)による提唱以来、本州と四国を橋で結ぶ構想は長年の悲願であった。戦後の復興期に入ると具体的な技術検討が始まったが、架橋運動を決定的に加速させたのは、1955(昭和30)年に発生した高松港沖での国鉄連絡船の衝突沈没事故(紫雲丸事故)であった。修学旅行中の児童・生徒を含む168名の犠牲者を出したこの惨事は、安全な陸路移動の確保を求める世論を沸騰させ、国による本州四国連絡橋建設の決断を促す契機となった。
高度経済成長期の1970(昭和45)年には本州四国連絡橋公団が設立され、3ルート(神戸・鳴門ルート、児島・坂出ルート、尾道・今治ルート)の建設が計画された。1973年の石油危機(オイルショック)による着工延期を経て、1978(昭和53)年に公団は3ルートのうち最も早く鉄道併用が可能な「児島・坂出ルート」である瀬戸大橋の着工に踏み切った。
「一本列島」の実現と1988年の日本
約1兆1300億円の巨費と9年半の歳月を投じ、当時の最新土木技術を結集して建設された瀬戸大橋は、1988(昭和63)年4月10日に開通した。上部に瀬戸中央自動車道、下部にJR本四備讃線(瀬戸大橋線)が通るダブルデッキ(2階建て)構造の道路・鉄道併用橋としては世界最大級の規模を誇る。
瀬戸大橋が開通した1988年は、わずか1ヶ月前の3月に北海道と本州を結ぶ青函トンネルが開業したばかりであった。これにより、日本列島の主要四島(北海道、本州、四国、九州)がすべて鉄道網で結ばれ、悲願の「一本列島」が完成した。バブル景気の絶頂期にあった日本において、これら超大型プロジェクトの相次ぐ完成は、戦後日本の経済的繁栄と技術的到達点を示す象徴的な出来事となった。
地域社会への多大な影響と課題
瀬戸大橋の開通は、四国における人流・物流のあり方を劇的に変貌させた。かつての宇高連絡船をはじめとする海上交通は大幅に縮小・廃止された一方で、本州と四国が実質的に同一の経済・生活圏となり、トラック輸送による物流のスピード化や、四国への観光客の急増をもたらした。
しかし、利便性の向上は同時に、四国側の購買力や人口が本州側(特に岡山市などの大都市圏)に吸引される「ストロー効果」を発生させる要因ともなった。さらに、莫大な建設費に伴う通行料金の高止まりや、本州四国連絡橋公団が抱えた巨額の累積債務は、のちに道路公団民営化議論へと繋がる戦後型開発政治の課題を浮き彫りにすることとなった。