日本労働組合総連合会(連合)

1989年、総評や同盟などのナショナルセンターが統一して誕生した、現在日本最大の労働組合の全国中央組織(略称)は何か?
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★★

日本労働組合総連合会(連合) (にほんろうどうくみあいそうれんごうかい)

1989年〜

【概説】
1989年に結成された、日本最大の労働組合の中央組織(ナショナルセンター)。戦後の労働運動を主導してきた「総評」や「同盟」などの異なる潮流が合流し、労働界の大同団結が実現したものである。政界再編や戦後政治の枠組みの変容にも極めて大きな影響を与えた。

総評と同盟の対立から統一へ:労働界再編の背景

戦後の日本の労働運動は、長らく保守・革新の対立を反映し、分裂状態にあった。その中心が、日本社会党を支持し、官公庁や国鉄などの公務員労働組合(官公労)を主力とする総評(日本労働組合総評議会)と、民社党を支持し、民間大企業の労働組合を主力とする右派の同盟(全日本労働総同盟)であった。これらは互いに激しく対立し、春闘などの闘争方針や政治路線において異なる歩みを続けていた。

しかし、1980年代に入ると、中曽根康弘内閣による「戦後政治の総決算」が進められ、国鉄(現・JR)や電電公社(現・NTT)などの国鉄再建・電電民営化が断行された。これにより、総評の基盤であった強力な官公労の組合が解体・再編され、総評の組織力は急速に衰退した。こうした政治的・社会的な変化を背景に、分裂したままでは労働者の権利を守れないという危機感が強まり、労働界の統一(大同団結)を模索する動きが急速に具体化することとなった。

「連合」の結成と階級闘争から労使協調への転換

労働界の統一は、まず民間部門の組合が先行する形で進められた。1987年に「全日本民間労働組合連合会(民間連合)」が結成され、これに追随する形で1989年11月21日、官公労系の組合も合流して、現在の日本労働組合総連合会(連合)が誕生した。これにより総評や同盟などは発展的に解消され、日本の主要な労働組合が一つの中央組織のもとに結集した。

連合の誕生は、労働運動の性質を劇的に変化させた。それまでの総評に代表される「反体制的・階級闘争的」な運動スタイルから、労使協調を基本とした「政策提言・対話型」の運動へと大きく舵を切ることになったのである。この転換は、日本の労働運動が戦闘性を失い、企業内組合の枠組みに埋没していく契機になったという批判的な見方もある一方で、安定的で建設的な労使関係の構築に寄与したとも評価される。

政界再編への影響と現代の課題

連合の結成は、労働界に留まらず、1990年代以降の日本の政治体制を激変させる原動力となった。連合は社会党と民社党の双方を支持基盤としていたため、この二党の関係改善と協力体制(社民合流の機運)を後押しした。これが1993年の細川護熙非自民連立政権の誕生を支える基盤となり、その後の民主党(のちの民進党、国民民主党・立憲民主党)の結党へとつなが進んでいく。

しかし、冷戦の終結やバブル経済の崩壊、さらに平成期を通じて進んだ雇用の多様化(非正規雇用の急増)により、連合は新たな課題に直面することになる。正規雇用の大企業従業員を中心とする連合は、非正規労働者の組織化に苦慮し、労働組合の組織率は年々低下を続けた。現代における連合は、かつてのような強力な動員力を欠きつつも、野党の最大の支持母体として、また労働環境の改善を政府や財界に働きかける日本唯一のナショナルセンターとして、依然として重要な位置を占めている。

ものがたり戦後労働運動史(2)──片山内閣から民主化運動の結集へ(1947~1949年)

激動の戦後日本における労働運動の熱き息吹と、民主化を求めて奔走した人々の闘いの軌跡を克明に描き出す貴重な記録。

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最終更新:2026年6月20日 @ 14:54

日本史一問一答(ランダム)

Q. 第2回帝国議会において民党と激しく対立し、日本初の衆議院解散と、品川弥二郎内相による大規模な選挙干渉を行った内閣は何か?
Q. 戦時下において、階級闘争を否定し、「労使一体となって国に報いる」という目的のもと、事業所ごとに結成された組織は何か?
Q. 1933年にドイツで成立し、政府(ヒトラー内閣)に国会の同意なしに法律を制定する権限を与え、ナチスの独裁を決定づけた法律は何か?