牛鍋
【概説】
明治時代初期の文明開化期に大流行した、牛肉をネギなどとともに醤油や味噌ベースのタレで煮て食べる鍋料理。長らく禁忌とされていた肉食の解禁を象徴する食文化であり、現在の「すき焼き」の原型となった。
「文明開化」の象徴と肉食の解禁
日本においては、675年に天武天皇が発した肉食禁止令以来、仏教や神道の忌避感から牛馬などの獣肉食は表向きは禁忌とされてきた。しかし幕末に開港を迎えると、外国人居留地を通じて牛肉食の文化が流入し、まず横浜などで牛鍋屋が誕生した。明治維新を迎えると、新政府は西洋の近代的技術や制度だけでなく、生活様式全般を西洋化する「文明開化」を推し進めた。その一環として、強健な西洋人の体格に追いつくための栄養源として牛肉食が推奨されるようになった。さらに1872年(明治5年)には明治天皇が自ら牛肉を試食したことが報道され、これによって肉食に対する一般庶民の心理的抵抗感が急速に払拭されていった。
『安愚楽鍋』に描かれた大衆の姿と「すき焼き」への発展
明治初期における牛鍋の爆発的な流行を生き生きと描いたのが、戯作者の仮名垣魯文が1871年(明治4年)から刊行した滑稽本『安愚楽鍋(あぐらなべ)』である。同書の中で「士農工商、老若男女、賢愚貧福おしなべて、牛鍋食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」と表現されたように、牛鍋を食べることは単なる食事にとどまらず、新しい時代(近代化)を受け入れた「進歩的な人間」であることの証明と見なされた。当時の牛鍋は、獣肉特有の臭みを消すためにネギ(当時は「名代」と呼ばれた)や豆腐、こんにゃくなどを加え、濃い醤油や味噌、砂糖をベースにした割り下で煮るスタイルが一般的であった。この牛鍋の流行と、関西方面で独自に発展していた牛肉を焼いて食べる「すき焼き」が、大正から昭和にかけて融合・発展し、現在の「すき焼き」へとつながっていくことになった。