電灯
【概説】
1880年代後半から日本で普及が始まった、電力を光源とする西洋式の照明器具。東京電燈会社などの手によって一般供給が開始され、それまでのガス灯や石油ランプに代わって近代日本の夜を照らす主役となった。都市の近代化を象徴する存在であると同時に、工場の夜間操業を可能にして資本主義の発達を支えた産業インフラでもある。
日本における電灯の誕生と「電気記念日」
日本における電灯の歴史は、1878(明治11)年3月25日、工部大学校(現在の東京大学工学部)の開校祝賀会において、イギリス人教授エアトンと学生の藤岡市助らが、アーク灯の点灯に成功したことに始まる。この日はのちに「電気記念日」に制定された。さらに1882(明治15)年には、大倉喜八郎らの主導により東京・銀座大通りにデモンストレーションとしてアーク灯が点灯され、そのあまりの明るさに驚いた市民が連日見物に押し寄せる事態となった。
こうした技術への驚きと需要を背景に、1883(明治16)年に東京電燈会社が設立される。同社は1887(明治20)年、日本橋に設置した発電所から近隣の郵便局や銀行などへ日本初の家庭用(事業用)配電を開始し、これが日本における電力事業および電灯普及の本格的な幕開けとなった。
ガス灯から電灯へ――「光の交代」と都市の近代化
電灯が普及する以前の明治初期、文明開化の象徴として都市を照らしていたのはガス灯や石油ランプであった。しかし、ガス灯は火災の危険性が高く、熱や煤(すす)を発生させるというデメリットがあった。これに対し、エジソンが実用化した白熱電球(白熱灯)を用いる電灯は、安全で空気を汚さず、風が吹いても消えないという画期的な特徴を持っていた。
当初、電灯の供給は直流方式で行われたため送電距離に限界があり、利用者は官公庁や一部の富裕層、大商店に限られていた。しかし、1890年代以降に交流方式による長距離送電技術が導入され、さらに明治末期から大正時代にかけて水力発電(琵琶湖疏水を利用した蹴上発電所など)が本格化すると、電気料金は劇的に低下した。これにより、電灯は一般庶民の家庭にも急速に普及し、日本の都市は名実ともに「不夜城」へと変貌を遂げていった。
産業界へのインパクトと資本主義の発展
電灯の普及は、単に生活の利便性を高めただけでなく、日本経済、特に近代産業の発展に決定的な影響を与えた。それまでの工場は日没とともに操業を停止せざるを得なかったが、電灯の導入によって安全な夜間照明が確保されたことで、昼夜二交代制などの24時間操業が可能となった。
この恩恵を最も強く受けたのが、明治期の日本を支えた繊維産業(紡績業・製糸業)である。電灯の光のもとで深夜労働が行われた結果、綿糸や生糸の生産量は爆発的に増加し、日本の国際競争力を引き上げる原動力となった。その一方で、この「明るい照明」は女工をはじめとする労働者に対する過酷な長時間労働を強いる一因ともなり、明治後期の社会問題(労働問題)の背景にもつながっていくこととなった。