浮き世 (うきよ)
【概説】
中世的な厭世観に基づく「憂き世」に対し、江戸時代の庶民が肯定的に捉えた「浮かれる世・現実の享楽的な世の中」を指す概念。現世のつらさを耐えるのではなく、今この瞬間を刹那的・享楽的に楽しもうとする近世特有のポジティブな価値観。この精神を背景として、浮世絵や浮世草子に代表される、活気あふれる町人文化が花開くこととなった。
中世の「憂き世」から近世の「浮き世」へ
平安時代から中世にかけての日本では、仏教的な無常観や末法思想を背景に、現世を「つらく、はかない、厭うべき場所」とする「憂き世(うきよ)」という捉え方が支配的であった。人々にとって現世は、来世の極楽浄土へ往生するための過渡期、あるいは修行の場にすぎず、執着すべきではないと考えられていたのである。
しかし、戦国時代の動乱が終結し、江戸幕府の成立によって長期的な平和(パクス・トクガワーナ)がもたらされると、人々の現世観は劇的に変化した。都市の経済的発展に伴って台頭した町人(庶民)階層は、現世の不条理を嘆くのではなく、今ここにある生を肯定的に捉え直した。こうして、かつての悲観的な「憂き世」は、時流に乗ってぷかぷかと「浮かれ、享楽的に暮らす世の中」としての「浮き世」へと変貌を遂げた。仮名草子『東海道名所記』(浅井了意著)において、「ただ浮き世を浮き暮らす、これをもて浮き世と名づくる」と記されたように、現世をそのまま肯定して楽しむという、知的なパラダイムシフトが起こったのである。
町人文化における「浮き世」の表象とメディア化
この「浮き世」というキーワードは、江戸時代の町人文化(元禄文化や化政文化)の発展において最も重要な概念となった。文学の分野では、井原西鶴が『好色一代男』に始まる浮世草子(うきよぞうし)を創始し、従来の道徳観にとらわれない庶民のリアルな金銭欲や色恋、人間模様を活写した。
美術の分野では、当時の流行、役者、美人(遊女)などを描いた浮世絵(うきよえ)が誕生した。それまでの貴族的な狩野派や土佐派の絵画とは異なり、まさに「今まさに流行している世相」をビジュアル化した浮世絵は、木版画の技術革新(錦絵の誕生)も手伝って大衆的なメディアへと成長した。このように、「浮き世」の思想は、幕府の厳格な身分制度や統制の隙間で、町人たちが自らの生を最大限に謳歌し、自己表現を行うための精神的支柱であったと言える。