毛織物

開港直後の日本の貿易において、綿織物とともにイギリスなどから大量に輸入された主要な輸入品は何か?
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毛織物

【概説】
幕末の開港以降、綿織物とともにイギリスなどから日本へ大量に輸入された羊毛製の布地。洋式軍備の導入や生活様式の変化にともなって国内需要が急増し、当時の主要な輸入品目となった。

開港と世界資本主義市場への組み込み

1858年(安政5年)の安政の五カ国条約調印を経て、翌1859年に横浜・長崎・箱館が開港されると、日本は本格的に世界資本主義の自由貿易体制へと組み込まれていった。この幕末期の貿易において、圧倒的なシェアを占めた最大の貿易相手国がイギリスである。

すでに産業革命を達成し、「世界の工場」としての地位を確立していたイギリスは、アジア各地を自国の工業製品の市場と位置づけていた。その結果、日本への主要な輸出品(日本からの輸入品)の首位を占めたのが、イギリス産の毛織物および綿織物であった。日本からは生糸や茶が大量に輸出された一方で、こうした安価で高品質な西洋の繊維製品が日本国内に大量に流入することとなった。

洋式軍制の導入と需要の急増

幕末の日本において毛織物の輸入が急増した最大の要因は、緊迫する対外危機を背景とした軍制の近代化(洋式化)である。幕府や長州藩、薩摩藩などの西南雄藩は、西洋の軍事技術を取り入れた洋式軍隊の創設を急務としていた。それに伴い、兵士が着用する洋式の軍服や外套の素材として、羅紗(ラシャ)や莫臥爾(モヘヤ)、五絽服(ゴロフク)といった多種多様な毛織物が大量に消費されるようになった。

日本には古来より羊を飼育して毛を刈り取る「牧羊」の習慣がなく、羊毛を加工する技術も存在しなかった。そのため、急増する毛織物の需要は国内で賄うことができず、全量を外国からの輸入に依存せざるを得ないという構造的な事情があった。

国内経済・在来産業への影響

同じく大量輸入された綿織物が、安価な外国産糸・布の流入によって国内の在来綿織物業(河内木綿など)に甚大な打撃を与え、農村の家内工業に再編を迫ったことはよく知られている。しかし、毛織物に関しては、競合する国内産業自体が存在しなかったため、既存の産業を破壊することなく、純粋な「新規需要」として国内市場に浸透していった点が特徴的である。

輸入された毛織物は、初期こそ軍用品としての需要が主であったが、その優れた防寒性や耐久性が認知されるにつれ、次第に富裕層や都市の庶民の間でも防寒具や実用の布地として珍重されるようになっていった。

服飾文化の西洋化と歴史的意義

毛織物の大量輸入は、幕末の貿易構造において武器や艦船の輸入と並んで大量の金銀流出(輸入超過)を招く経済的な要因となった。しかし同時に、それは単なる物資の流入にとどまらず、日本人の生活様式を変容させる契機でもあった。

武士階級から始まった毛織物を用いた洋式軍服の着用は、やがて明治維新後の「文明開化」における断髪や洋服の普及へと直結していく。つまり幕末期の毛織物輸入は、日本が世界経済のネットワークに組み込まれたことを示す経済史的指標であると同時に、日本の服飾文化が和装から洋装へと大きな転換を遂げていく過程を象徴する、極めて重要な文化史的意義を持っているのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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