橘大郎女

高校日本史的重要度
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橘

「橘」の書き方

橘大郎女 (たちばなのおおいらつめ)

生没年不詳

【概説】
飛鳥時代の皇族で、聖徳太子(厩戸皇子)の妃の一人。太子の没後、その冥福を祈るために日本最古の染織工芸品として知られる「天寿国繍帳」の制作を発願した人物。

高貴な出自と聖徳太子との婚姻

橘大郎女は、敏達天皇の孫(父は難波皇子、あるいは尾張皇子とされる)にあたる高貴な血統の女性である。聖徳太子には複数の妃がいたが、橘大郎女もその一人として太子に召された。彼女の出自は、当時の皇室内部における緊密な婚姻関係と、聖徳太子をめぐる政治的・血縁的なネットワークの一端を示している。

天寿国繍帳の発願と歴史的意義

推古天皇30年(622年)に聖徳太子が薨去すると、橘大郎女は悲しみに暮れ、太子が往生したという仏教の理想郷「天寿国」の様子を視覚的に再現することを望んだ。彼女は推古天皇の許しを得て、東漢直鞍作(やまとのあやのあたえくらつくり)らの工匠に下絵を描かせ、宮中の采女らに命じて天寿国繍帳(国宝、現在は奈良・中宮寺蔵)を制作させた。

この繍帳は、当時の高度な染織技術や美術様式を伝える第一級の史料であるとともに、日本における初期の浄土信仰(極楽往生を願う信仰)の受容を示す象徴的な遺品として、日本仏教史上極めて重要な意義を持っている。

最終更新:
2026年6月18日 @ 23:00

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