森戸事件 (もりとじけん)
【概説】
1920年、東京帝国大学助教授の森戸辰男が執筆した無政府主義に関する論文が、国家の秩序を乱す「朝憲紊乱」にあたるとして起訴され、有罪となった言論弾圧事件。大正デモクラシーの高揚期において、学問の自由や思想の自由が国家権力によって脅かされた象徴的な出来事である。
事件の背景:『経済学論集』とクロポトキン研究
第一次世界大戦後の日本では、ロシア革命の影響や大正デモクラシーの潮流を受け、社会主義や労働運動への関心が急速に高まっていた。こうした状況下、1920(大正9)年1月、東京帝国大学経済学部の機関誌『経済学論集』創刊号に、助教授の森戸辰男(もりとたつお)が執筆した論文「クロポトキンの社会思想の研究」が掲載された。
この論文は、ロシアの無政府主義(アナキズム)思想家であるピョートル・クロポトキンの思想を学術的に紹介・分析したものであった。しかし、当時の大学内外の保守派や右翼団体は、この論文が皇室の尊厳や私有財産制度を否定する無政府主義を宣伝・肯定するものだとして猛烈に反発し、社会問題化させた。
国家権力の介入と「朝憲紊乱」による有罪判決
事態を重視した原敬内閣の司法当局(検事総長・平沼騏一郎ら)は、森戸の論文が新聞紙法第42条の「朝憲(憲法や国家秩序)を紊乱(びんらん)する」罪に抵触するとして、森戸および同誌の編集責任者であった助教授の大内兵衛(おおうちひょうえ)を起訴した。大学側も政府の圧力に抗しきれず、両者を休職処分とした。
裁判では、学術研究の自由や大学の自律性が強く主張されたものの、同年10月の判決で森戸は禁錮3ヶ月、大内は無罪(ただし失職)となり、最高裁でも確定した。この事件により、森戸は東京帝国大学を去ることを余儀なくされた。
大正デモクラシー下における「学問の自由」の限界
森戸事件は、大正デモクラシーという自由主義的な気運の中にありながら、国家主権(天皇制)や資本主義体制を揺るがす恐れのある思想に対しては、国家権力が容赦なく介入・弾圧することを示す出来事となった。
東京帝国大学の学生や知識人層は「森戸氏擁護同盟」を結成するなどして言論の自由を訴えたが、この事件を契機に大学内での社会思想研究に対する自己規制や萎縮が進んだ。これは、昭和期に展開される滝川事件(1933年)や天皇機関説事件(1935年)など、大学の自治と学問の自由がさらに徹底的に弾圧されていく歴史の先駆的な事例となった。