有島武郎 (ありしまたけお)
【概説】
大正期を中心に活躍した白樺派の小説家、思想家。他の白樺派の作家とは異なり、社会の矛盾やキリスト教的苦悩を深く見つめた重厚な作風で知られる。代表作に『或る女』や『カインの末裔』などがあり、後年には所有する農場を小作人に無償解放するなど、自らの思想を実践した人物としても歴史に名を残している。
白樺派における異色の存在とキリスト教的苦悩
有島武郎は、大蔵官僚で実業家の有島武の長男として東京に生まれた。弟に画家の有島生馬、作家の里見弴がいる。学習院中等科を卒業後、農業を志して札幌農学校(現在の北海道大学)に進学した。そこで内村鑑三の影響を受けてキリスト教に入信し、のちにアメリカに留学してホイットマンの文学や社会主義思想に触れるなど、幅広い思想的背景を形成していった。
帰国後、学習院時代の知己である武者小路実篤や志賀直哉らとともに、1910年(明治43年)に同人雑誌『白樺』の創刊に参加した。しかし、他の白樺派の作家たちが明るい自己肯定や楽天的な人道主義・理想主義を掲げたのに対し、有島はキリスト教的な原罪意識や自我の葛藤、そして資本主義社会の暗部を深く見据えていた。そのため、彼は白樺派という枠組みのなかにありながらも、極めて内省的かつ社会派的な「異色の存在」であったと言える。
代表作と深まる社会的洞察
有島の文学的特質は、北海道の厳しい自然や、社会の抑圧と闘う人々の姿を冷徹に描き出した点にある。1917年(大正6年)に発表された『カインの末裔』では、北海道の過酷な開拓地を舞台に、地主や自然の猛威に抗いながら破滅していく粗暴な小作人の姿を重厚な筆致で描き出した。
さらに、1919年(大正8年)に完成した長編小説『或る女』は彼の最高傑作と評される。自我に目覚めた奔放な女性・早月葉子を主人公とし、彼女が因襲的な家父長制社会のなかで男性たちを翻弄しながらも、やがて自らの虚栄心と情念によって凄惨な破滅へと突き進む様を描いた。同作は、近代日本における「新しい女」の悲劇を社会構造と個人の内面の両面からえぐり出した名作である。この他にも、過酷な労働と芸術への情熱の間で引き裂かれる青年を描いた『生まれ出づる悩み』など、労働階級への深い共感を示す作品を残している。
農場解放の実践と大正知識人の限界
第一次世界大戦後の大正デモクラシー期、日本国内でも労働運動や社会主義運動が激化していく。そのなかで有島は、自らが裕福なブルジョワジー(有産階級)の出身であるという自己矛盾に深く苦悩するようになった。クロポトキンの無政府主義(相互扶助論)などに傾倒していた彼は、1922年(大正11年)、父親から相続した北海道の狩太農場(有島農場)を小作人たちに無償で解放するという、当時の知識人としては異例の急進的な実践を行った。
しかし、自らの財産を放棄してもなお「知識人・有産階級であることの原罪」から逃れられないという絶望は深まるばかりであった。同年、彼は評論『宣言一つ』を発表し、「第四階級(無産階級)のことは第四階級自身によってしか解決できない」と述べ、自らのような知識人が労働運動を指導することの無力さと限界を率直に告白した。そして1923年(大正12年)6月、婦人公論の記者であった波多野秋子とともに軽井沢の別荘で縊死(心中)を遂げた。社会主義の台頭という時代のうねりのなかで、自らの階級的出自と純粋な思想との板挟みになって自死を選んだ有島の生涯は、大正時代の知識人が抱えた苦悩と行き詰まりを象徴する歴史的事件として記憶されている。