春日神社(春日大社)

奈良時代に平城京の東に創建され、中臣氏(藤原氏)の氏神であるタケミカヅチノミコトなどを祀る神社はどこか?
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重要度
★★

春日神社(春日大社) (かすがじんじゃ(かすがたいしゃ)

768年社殿創建

【概説】
奈良の平城京の東方に位置する御蓋山の麓に創祀された、藤原氏の氏神を祀る神社。同氏の氏寺である興福寺と一体化して神仏習合の先進的な姿を示し、中世の政治・社会・文化に多大な影響を及ぼした大社である。

藤原氏の隆盛と平城京遷都にともなう創祀

春日神社(現在の春日大社)の起源は、平城京遷都(710年)の直後、藤原氏の祖である藤原不比等が、一族の繁栄と国家の安泰を願って、常陸国の鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を平城京に近い御蓋山(みかさやま)の山頂に勧請したことに始まるとされる。その後、称徳天皇の治世である768年(神護景雲2年)に、藤原永手らによって現在地に壮麗な社殿が造営され、香取神宮から経津主命、枚岡神社から天児屋根命と比売神を合わせ祀り、四柱の神を祀る体制が整えられた。これにより、藤原氏全体の共通の氏神として、その地位が確立された。

興福寺との結合と「神仏習合」の進展

春日神社を理解する上で極めて重要なのが、藤原氏の氏寺である興福寺との密接な関係である。平安時代に入り、日本古来の神々は仏が仮の姿で現れたものであるとする本地垂迹説が広がると、春日神社の神々と興福寺の仏たちは一体のものとして信仰されるようになった。この強力な神仏習合体制は「春日・興福寺一体化」と呼ばれ、大和国(現在の奈良県)における事実上の支配権を握る原動力となった。中世には、春日神社の神木(榊)を奉じて朝廷に強訴(強硬な請願)を行う興福寺の僧兵たちが、政治的に大きな力を揮ったことでも知られている。

中世社会・文化への影響と伝統の継承

春日神社の信仰は、美術や芸能の発展にも大きな足跡を残した。神仏習合の様子を描いた「春日曼荼羅」は数多く制作され、当時の人々の宇宙観を示している。また、1136年(保延2年)に始まったとされる「春日若宮おん祭」は、大和国の安寧を願う大規模な祭りとして現在まで絶えることなく続いており、能楽や狂言、雅楽といった日本の伝統芸能の発展・保存において計り知れない価値を有している。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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