和賀江島 (わかえじま)
1232年
【概説】
鎌倉時代の1232年、相模国鎌倉の由比ヶ浜東端の沖合に築かれた、日本最古とされる人工港湾の遺跡。勧進僧の往阿弥陀仏が発起し、鎌倉幕府の執権北条泰時らの支援を得て、石を積み上げて築造された。
難所であった由比ヶ浜と築港の経緯
鎌倉幕府の政治・文化の中心地である鎌倉は、南側を太平洋(相模湾)に面していたが、由比ヶ浜一帯は極めて遠浅な砂浜であり、大型船の接岸や荷揚げが非常に困難であった。加えて、南風を直接受けるため波が荒く、多くの交易船が座礁・転覆する事故が多発していた。
この状況を憂慮した勧進僧の往阿弥陀仏(おうあみだぶつ)は、船の安全な係留地として人工島(築港)の建設を計画。第3代執権の北条泰時をはじめとする幕府首脳部もこの計画に賛同し、多大な物資や労働力を提供して全面的に支援した。1232年(寛喜4年)7月に着工されると、わずか1ヶ月足らずの突貫工事で完成をみた。これが和賀江島である。
中世鎌倉の物流と日宋貿易への貢献
和賀江島の完成により、鎌倉は安全な「海の玄関口」を確保することに成功した。島には船を係留するための杭が打たれ、周辺には市場や荷受人の拠点が整備された。これにより、日本各地から運ばれる年貢や特産品だけでなく、日宋貿易(のちには日元貿易)によってもたらされる宋銭や陶磁器、書籍といった中国大陸からの物資が大量に流入し、鎌倉の都市経済は飛躍的に発展した。
和賀江島は幕府の強力な管理下に置かれ、港湾維持のための関銭(通行税)などが徴収された。中世鎌倉の繁栄を支えたこの人工島は、現在も干潮時にその石積みの遺構を明瞭に確認することができ、中世の港湾技術を伝える貴重な遺跡として国の史跡に指定されている。