日本無産党 (にほんむさんとう)
【概説】
1937年(昭和12年)に鈴木茂三郎ら「労農派」系の活動家を中心に結成された合法左翼政党。ファシズム排撃と労働者・農民の生活擁護を掲げて活動したが、同年末の人民戦線事件を機に政府から結社禁止処分を受けた。戦前の日本における、組織的な反ファシズム抵抗運動の最後の試みとして位置づけられる。
結成の背景と社会大衆党の右傾化
1930年代の日本では、満州事変以降、軍部の台頭とファシズム化が急速に進行していた。当時、最大の合法無産政党であった社会大衆党は、こうした情勢に妥協し、次第に軍部支持・国家社会主義的な傾斜を強めていった。これに対し、マルクス主義の系譜である労農派(日本共産党と対立し、合法闘争による民主変革を主張した知識人・運動家のグループ)は危機感を募らせた。そこで、真の反ファシズムと階級的利益の擁護を掲げる新党として、1937年2月に加藤勘十を執行委員長、鈴木茂三郎を書記長として「日本無産党」が結成された。
人民戦線運動の模索と壊滅
日本無産党は、コミンテルンが提唱していた「反ファシズム人民戦線(軍部やファシズムに対抗するため、自由主義者から左翼までが幅広く提携する運動)」の日本における形成を目指した。しかし、同年7月に日中戦争が勃発すると、近衛文麿内閣のもとで「国民精神総動員」運動が展開され、国家による思想統制は極限に達した。同年12月15日、治安当局は「日本国内に人民戦線組織を樹立しようとした」との容疑で、加藤や鈴木、山川均、荒畑寒村ら労農派系の活動家・知識人を一斉検挙した。これが人民戦線事件(第一次)である。この事件と同時に、日本無産党とその支持基盤であった日本労働組合評議会(評議会)は治安警察法に基づき結社禁止処分を受け、結成からわずか10ヶ月足らずで消滅した。これにより、戦前の日本における合法的な左翼・反戦運動は完全に圧殺されることとなった。