直木三十五 (なおきさんじゅうご)
【概説】
大正から昭和初期にかけて活躍した、近代日本を代表する大衆文学作家。代表作『南国太平記』などで一世を風靡し、その死後に親友の菊池寛が創設した「直木賞」に名を残した人物である。
「直木三十五」の誕生と大衆文学の台頭
直木三十五(本名:植村宗一)が活躍した大正から昭和初期にかけての日本は、都市化の進展や印刷技術の向上、総合雑誌・円本の普及などを背景に、読者層が急速に拡大した時代であった。この時期、従来の知識人向けの純文学とは一線を画す、広く庶民に親しまれる娯楽性の高い大衆文学(通俗小説や時代小説)という新ジャンルが確立されつつあった。
直木の筆名は極めてユニークな変遷をたどっている。本名の「植村」の「植」の字を「直」と「木」に分解し、自身の年齢(31歳)を組み合わせた「直木三十一」を最初の筆名とした。その後、年齢を重ねるごとに「三十二」「三十三」と改名していき、最終的に「三十五」で固定された(実際にはいくつかの数字が飛び、三十五歳以降は改名が煩雑になったためとされる)。彼は旺盛な執筆欲と鋭い批評眼を持ち、単なるエンターテインメントにとどまらない、大衆の知的好奇心を刺激する作品を世に送り出し続けた。
代表作『南国太平記』と時代小説の革新
直木三十五の文学的地位を不動のものとしたのが、1931年(昭和6年)に発表された『南国太平記』である。本作は、幕末の薩摩藩でお家騒動を引き起こした「お由羅騒動」を題材に、緻密な歴史考証とダイナミックなフィクションを融合させた歴史・時代小説の傑作である。
それまでの時代小説に多かった講談調の予定調和な展開を排し、登場人物たちの入り乱れる陰謀や人間ドラマをスピード感あふれるモダンな筆致で描いた。この作品は新聞連載時から熱狂的な支持を集め、映画化もされるなど、昭和初期における時代小説ブームの起爆剤となった。直木は歴史の事実を尊重しつつも、そこに現代的な解釈や大衆を魅了するサスペンス要素を盛り込むことで、近代的な「時代小説」の表現形式を完成させたと言える。
早すぎる死と「直木賞」の創設
大衆文学の旗手として精力的に活動を続けた直木であったが、結核を患い、1934年(昭和9年)に43歳という若さで夭折した。その早すぎる死は、文壇のみならず多くの読者に深い衝撃と悲しみを与えた。
彼の死後、親友であり文藝春秋の創業者でもある菊池寛は、直木の文学的功績を永く記念するため、1935年に「直木三十五賞(通称:直木賞)」を創設した。これは、同じく夭折した芥川龍之介を記念した「芥川賞」と並び、近代日本文学において最も権威ある賞として機能することになる。純文学の新人に与えられる芥川賞に対し、直木賞は「大衆文学(通俗小説)の分野における新進・中堅作家」を対象としており、現在に至るまで、日本のエンターテインメント小説の発展と新たな才能の輩出に大きく貢献し続けている。