新興財閥

満州事変以降の軍需インフレを背景に、旧来の財閥が消極的だった重化学工業分野などに進出して急成長した日産や日窒などの企業集団を総称して何というか?
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★★★

新興財閥

1930年代〜1945年

【概説】
1930年代の軍需増大などを背景に、重化学工業や満州などの植民地に進出して急成長を遂げた新しい企業集団の総称。三井や三菱などの既成財閥が持っていた独自系列の銀行を持たず、株式の公開や国策銀行からの融資により資金を調達したことが特徴である。軍部と緊密に結びつき、日本の戦時経済や植民地支配において重要な役割を担った。

軍需の増大と新興財閥の台頭

1930年代前半、日本は金解禁と世界恐慌のあおりを受けて深刻な昭和恐慌に陥った。しかし、高橋是清蔵相のもとでの積極財政や、1931年(昭和6年)の満州事変を契機とする軍事費の増大により、日本経済は急速に回復へ向かい、産業構造も軽工業から重化学工業へと大きく転換していった。

この時期、三井や三菱に代表される既成財閥は、金解禁時のドル買いなどで巨額の利益を上げたことが発覚し、世論や右翼、急進的な軍人から「私利私欲を追求している」として猛烈な非難を浴びていた(血盟団事件における団琢磨暗殺など)。そのため既成財閥は、社会事業への寄付や同族役員の退陣といった「財閥の転向」を余儀なくされ、新規事業への投資にも消極的となっていた。こうした既成財閥の隙を突くように、新技術の事業化や軍需産業への積極的投資によって急成長を遂げたのが新興財閥(新興コンツェルン)である。

主な新興財閥とその創設者

新興財閥を牽引したのは、技術者出身の人物や革新的なビジョンを持つ起業家たちであった。戦前の日本経済において、以下の企業集団が特に大きな存在感を示した。

最も代表的なものが、鮎川義介が率いた日産(日本産業)コンツェルンである。鮎川は久原財閥の経営を引き継ぎ、持株会社を公開して広く一般から資金を集める革新的な手法を採り入れた。自動車産業(日産自動車)や鉱業に注力し、巨大な企業集団を築き上げた。

また、野口遵が創設した日窒(日本窒素肥料)は、豊富な水力発電を利用した硫安(化学肥料)製造に成功し、朝鮮半島における大規模な電源開発と重化学工業化を推進した。その他にも、森矗昶によるアルミニウム製錬を中心とした森コンツェルン(昭和電工)中野友禮による日曹(日本曹達)、さらには大河内正敏が所長を務め、研究所の特許技術を事業化して多角的な企業群を形成した理研(理化学研究所)コンツェルンなどが知られている。

既成財閥との構造的違い

新興財閥は、三井・三菱・住友・安田などの既成財閥とは明確に異なる構造的特徴を持っていた。

第一に、重化学工業に特化していた点である。既成財閥が商業、海運、鉱業から軽工業まで多角的な経営を行っていたのに対し、新興財閥は最初から軍需や国策と親和性の高い化学、金属、機械などの分野に経営資源を集中させた。

第二に、独自の金融部門(系列銀行)を持たなかった点である。既成財閥は強大な自社系列銀行を中核資金源としていたが、新興財閥は銀行を所有していなかった。そのため、資金調達は株式市場での公募(公開持株会社化)や、日本興業銀行、朝鮮銀行などの国策銀行(特殊銀行)からの借入に大きく依存していた。このことは、必然的に国家政策や軍部の意向に従わざるを得ない性格を帯びる要因となった。

軍部との結びつきと植民地進出

資金や事業拡大の機会を国家に依存した新興財閥は、軍部との関係を急速に深め、日本の大陸進出の先兵として機能した。特に1932年に建国された満州国や、日本の植民地であった朝鮮半島への進出は顕著であった。

軍部は、旧来の利益を優先する既成財閥よりも、国策に協力的で重化学工業のノウハウを持つ新興財閥を満州経営のパートナーとして重用した。その象徴が、1937年(昭和12年)に関東軍の要請を受けた鮎川義介による、日産コンツェルンの満州への全面移駐である。日産は満州国政府と折半出資で満州重工業開発株式会社(満業)を設立し、満州の鉱工業開発を独占的に担うこととなった。

このように、新興財閥は1930年代の戦時経済体制と軍需の膨張を原動力として日本の産業地図を大きく塗り替えたが、その運命は日本の帝国主義的な拡大と不可分であった。そのため、1945年(昭和20年)の太平洋戦争敗戦と満州・朝鮮の喪失により経済的基盤の大半を失い、戦後のGHQによる財閥解体指令によって、既成財閥とともに解体されることとなったのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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