戊戌封事 (ぼじゅつほうじ)
1838年
【概説】
老中水野忠邦が12代将軍徳川家慶に提出した、幕政改革に向けた意見書。のちに断行される「天保の改革」の基本方針や政治理念が示された、改革の青写真とも言える重要史料である。
提出の背景と水野忠邦の政治的意図
1837年(天保8年)、11代将軍徳川家斉が隠居して大御所となり、徳川家慶が12代将軍に就任した。しかし、実権は依然として大御所である家斉が握り、大奥を中心とした奢侈で放漫な政治(大御所政治)が続いていた。こうした状況に危機感を抱いていた老中首座の水野忠邦は、干支で戊戌(ぼじゅつ)にあたる1838年(天保9年)、将軍家慶に対して極秘裏に意見書(封事)を奉呈した。これが「戊戌封事」である。
忠邦はこの中で、享保・寛政の改革を「祖法」として仰ぎ、弛緩した政治綱紀の粛正、極端な奢侈の禁止、武芸の奨励などを進言した。これは、家斉を中心とする旧勢力を牽制しつつ、来るべき自らの本格的な改革への協力を家慶に要請するものであった。
天保の改革への展開と歴史的意義
1841年(天保12年)に徳川家斉が死去すると、水野忠邦は即座に家斉派の官僚を淘汰し、実権を掌握して天保の改革を開始した。この改革において実施された株仲間の解散、人返しの法、さらには上知令といった極めて強硬な諸政策は、すべて「戊戌封事」において示された「幕府権威の絶対化と財政再建」という思想が起点となっている。
結果として天保の改革は社会の強い反発を招いて失敗に終わるが、戊戌封事という史料は、幕末前夜の幕府が直面していた危機感と、それを打破しようとした水野忠邦の硬骨な改革精神を今に伝える一次史料として高い価値を有している。