御触書寛保集成 (おふれがきかんぽうしゅうせい)
【概説】
江戸幕府の開設から寛保年間までに発布された重要法令(お触書)を事項別に分類・編集した、幕府公認の法令集。8代将軍徳川吉宗による「享保の改革」の総決算として編纂され、その後の合理的な幕政運営の基盤となった。
享保の改革における法秩序の再編
8代将軍徳川吉宗が進めた享保の改革は、財政再建や新田開発にとどまらず、幕府の統治機構や法秩序の根本的な再編を伴うものであった。江戸幕府が開かれて以降、その時々の必要性に応じて膨大な「お触書」(法令)が出されていたが、これらは系統的に整理されておらず、散逸したり、内容に矛盾が生じたりして実務上の混乱を招いていた。
そこで吉宗は、幕閣や実務官僚が過去の先例や法令を迅速かつ正確に参照できるよう、法典・法令集の整備に着手した。その代表的な成果が、裁判の基準を定めた刑事・民事の基本法である『公事方御定書』(1742年制定)であり、これと対をなす行政法令の集大成として編纂されたのが『御触書寛保集成』である。
編纂の特色と実務的な事項別分類
『御触書寛保集成』は、吉宗の命を受けた勘定奉行の神尾春央(かんおはるひで)らが中心となって編纂され、1744年(寛保4年)に完成した。収録された法令は、初代将軍徳川家康の時代から寛保3年(1743年)までの約140年間にわたる主要なお触書、約1100余条に及ぶ。
本作の画期的な点は、年代順の配列ではなく、「神事・寺社」「武家」「法度」「金穀」「町・百姓」といった部類(事項別)に分類・整理されたことである。さらに、すでに形骸化した古い法令や重複する法令は整理され、現行法として効力を持つ重要法令が厳選された。この事項別分類の採用により、幕府の行政実務を担う官僚たちが、必要な法令を即座に検索することが可能となった。
法治主義への移行と「御触書集成」の系譜
『御触書寛保集成』の編纂は、幕府の支配体制が将軍個人の属人的な裁定から、体系化された法令に基づく「法治・官僚制的な支配」へと移行したことを象徴している。これにより、中央の幕府から地方の代官に至るまで、統一的な基準のもとで行政執行が行われるようになった。
この編纂事業は一回限りのものにとどまらず、のちの時代にも受け継がれた。幕府はその後、ほぼ数十年おきに法令の追加・整理を行い、宝暦年間の『御触書宝暦集成』、天明(寛政の改革期)の『御触書天明集成』、天保(天保の改革期)の『御触書天保集成』などを相次いで編纂した。これらは総称して「五部集成(または御触書集成)」と呼ばれ、江戸幕府が幕末にいたるまで安定した統治を維持するための、法的な骨格であり続けた。