弘法大師 (こうぼうたいし)
774年〜835年
【概説】
平安時代初期の僧であり真言宗の開祖である空海に対して、死後に朝廷から贈られた諡号。没後86年が経過した延喜21年(921年)に、醍醐天皇より授けられた。
諡号授与の背景と宗派間の対抗
空海の死後、約90年が経過した延喜21年(921年)、東寺長者であった観賢(かんげん)らの強い働きかけにより、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号(大師号)が贈られた。この背景には、天台宗の最澄に対してすでに貞観8年(866年)に「伝教大師」の諡号が贈られていたことに対する、真言宗側の対抗意識があったとされる。朝廷にとっても、嵯峨天皇以来の関係が深い真言密教の社会的・政治的地位を公認し、天台・真言の二大宗派の均衡を保つことは、国家鎮護の観点から極めて重要であった。
大師信仰の広がりと中世社会への影響
「弘法大師」の諡号が宣下されたことは、空海が肉体を残したまま高野山奥之院で今も深く瞑想(禅定)を続けているとする入定留身(にゅうじょうりゅうしん)信仰(大師信仰)を決定づける契機となった。中世以降、高野聖(こうやひじり)と呼ばれる勧進僧たちが全国を行脚し、大師の現世利益や奇跡を広く宣伝したことで、この信仰は庶民層へと爆発的に普及した。これにより、四国八十八箇所の遍路文化や、日本各地に伝わる「弘法水」などの民俗伝説が形成され、空海は「お大師さま」として日本独自の聖人像へと昇華していくこととなった。