広隆寺半跏思惟像

重要度
★★

【参考リンク】
弥勒菩薩(Wikipedia)

広隆寺半跏思惟像 (こうりゅうじはんかしゆいぞう)

7世紀前半

【概説】
京都最古の寺院である広隆寺に安置された、飛鳥時代を代表する木造仏。右脚を左太ももの上に乗せて静かに思索にふける「半跏思惟」の姿をとる、我が国の国宝指定第1号として名高い仏教彫刻である。

「半跏思惟」の造形美と素材の謎

広隆寺半跏思惟像(一般に「弥勒菩薩半跏思惟像」や「宝冠弥勒」とも呼ばれる)は、右脚を左膝の上に乗せ、右手の指先を頬に軽く添えて、人類をどのように救済すべきかを瞑想する「半跏思惟」の姿勢をとっている。その優美なポーズと、口元に微かな笑みを浮かべたアルカイック・スマイル(古拙の微笑み)は、東洋の「モナ・リザ」とも評され、飛鳥仏教美術の到達点を示すものとして高く評価されている。

この像の美術史的・歴史的な最大の特徴は、その素材にある。飛鳥時代の日本の木彫仏の多くは、法隆寺金堂の諸仏に見られるように、国内に豊富に自生していたクスノキ(樟)が用いられていた。しかし、広隆寺の半跏思惟像はアカマツ(赤松)の一木造で作られている。アカマツは当時の日本での仏像制作例としては極めて異例であり、むしろ朝鮮半島に多く自生する樹種であるため、その出自をめぐる議論の契機となった。

渡来系氏族「秦氏」と朝鮮半島からの伝来

広隆寺は、山城盆地を本拠地としていた有力な渡来系氏族である秦氏(はたうじ)の長、秦河勝(はたのかわかつ)が創建した寺院である。『日本書紀』などの記録によれば、推古天皇11年(603年)に聖徳太子から仏像を授かった秦河勝が、それを安置するために蜂岡寺(現在の広隆寺)を建立したとされる。この時に授けられた仏像こそが、現在の半跏思惟像であると考えられている。

さらに、韓国の慶州から出土した新羅の「金銅弥勒菩薩半跏像(韓国国宝第83号)」と、この広隆寺像の全体のプロポーションや衣文の表現が驚くほど酷似していることが古くから指摘されてきた。アカマツの木材が使用されている点と合わせ、この像は朝鮮半島(特に新羅)で制作されて日本に渡ってきた「渡来仏」であるか、あるいは半島から渡来した技術集団が日本国内で制作した仏像である可能性が極めて高い。このように、広隆寺半跏思惟像は、飛鳥時代の日本が朝鮮半島を介して東アジア全体の仏教文化と深く結びついていたことを今日に伝える、極めて重要な歴史的遺物なのである。

カラー版 日本仏像史

日本美術の変遷を辿りながら、各時代の造形美と精神性に深く触れることのできる、仏像鑑賞の入門に最適な必携の書。

国宝第一号 広隆寺の弥勒菩薩はどこから来たのか? (静山社文庫)

飛鳥時代の至宝に秘められた歴史的謎を解き明かし、古代彫刻のルーツと製作背景に鋭く切り込む珠玉の論考。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 氷期にシベリア方面から北海道などへ渡ってきた、長い体毛と巨大な牙を持つ大型のゾウは何か?
Q. 弥生時代の田おこしなどの農作業において、土を掘り起こすために用いられた鍬(くわ)と鋤(すき)は主に何で作られていたか?
Q. 天智天皇の弟で、吉野に隠遁していたが壬申の乱で挙兵し、勝利して飛鳥浄御原宮で即位した人物は誰か?