幣伊 (へい)
平安時代初期
【概説】
古代の東北地方における蝦夷(えみし)の居住地であり、現在の岩手県東部(宮古市周辺)にあたる地域。平安時代初期に、陸奥最北部の爾薩体(にさたい)とともに文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)によって平定された。
幣伊の地理的位置と「蝦夷」の世界
幣伊(へい)は、現在の岩手県宮古市や閉伊(へい)郡周辺の北上山地東麓から太平洋沿岸部に位置する地域である。古代の律令国家において、この地は国家の支配が及ばない蝦夷(えみし)の拠点の一つとされていた。北上川流域の平野部とは険しい山地で隔てられていたが、豊富な海洋資源や森林資源、あるいは鉱物資源などを有する独自の社会が形成されていたと考えられている。
文室綿麻呂による平定とその意義
延暦21年(802年)の坂上田村麻呂による胆沢城の築城やアテルイの降伏以降も、さらに北方に位置する幣伊や爾薩体の蝦夷は朝廷への抵抗を続けていた。これに対し、弘仁2年(811年)、嵯峨天皇から征夷将軍に任じられた文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)は大規模な征討軍を派遣した。この軍事行動によって幣伊の蝦夷は平定され、朝廷の支配権は三陸沿岸部にまで拡大することとなった。この平定は、光仁天皇期から約40年にわたって続いた、いわゆる「三十八年戦争」における朝廷側の組織的軍事行動の事実上の終焉を意味している。