三線 (さんしん)
【概説】
中国から琉球王国に伝来した、3本の弦と蛇皮の胴を持つ撥弦楽器。16世紀の室町・安土桃山時代に日本本土へと伝わり、のちに日本の伝統芸能を代表する楽器となる三味線(しゃみせん)の直接の祖形となった。
中国「三弦」の伝来と琉球での定着
三線の祖形となったのは、元から明代の中国で用いられていた楽器である三弦(サンシアン)である。14世紀末、明の洪武帝から琉球王国(中山王・察度)へ遣わされた「びん人三十六姓(福建省からの技術移民)」によって、那覇の久米村にもたらされたのが始まりとされる。琉球に伝わった三弦は、宮廷音楽である「御座楽(うざがく)」などで演奏されるとともに、琉球独自の音楽に適合する形で改良され、「三線」として定着した。
琉球における三線は、単なる娯楽の楽器にとどまらず、王府の公認する芸能や儀礼に深く組み込まれていった。17世紀以降には、王府の中に「三線主取(さんしんぬしどり)」という役職が設けられ、士族の教養として重んじられるなど、琉球独特の宮廷文化を支える象徴的な楽器となった。
日本本土への伝播と「三味線」への進化
16世紀(室町時代後期から安土桃山時代にかけて)、琉球の三線は東アジア交易の重要拠点であった和泉国の堺へと伝播した。伝来時期については、永禄年間(1558〜1570年)など諸説あるが、日琉・日明貿易の交易船の乗組員や堺の商人らによってもたらされたと考えられている。
堺に伝わった三線は、当時盛んであった平曲(平家琵琶)を演奏する琵琶法師(仲小路など)らによって注目された。彼らはそれまで指や爪で弾いていた三線を、琵琶用の大きな「撥(バチ)」を用いて叩くように弾く奏法へと改良した。また、日本の気候では破れやすく入手も困難なニシキヘビの皮の代わりに、猫や犬の皮を張るなどの創意工夫を重ねた。こうして誕生したのが、近世日本の庶民文化や歌舞伎、人形浄瑠璃に不可欠な楽器となる三味線である。
東アジア交易ネットワークがもたらした文化の変容
三線の伝来と三味線への発展の歴史は、中世から安土桃山時代にかけての東アジアにおける海上交易ネットワークの活発さを示す極めて具体的な事例である。琉球王国は「万国津梁(世界の架け橋)」としての中継貿易によって中国の物産だけでなく文化をも受容し、それを自国の文化へと消化した上で、日本本土へと伝達する重要な役割を果たしていた。
中国の「三弦」、琉球の「三線」、そして日本本土の「三味線」は、それぞれ材料や構造、奏法を変えながら独自の発展を遂げた。この変容プロセスは、外来文化を受容しつつ自国の伝統と融合させて新たな文化を創造するという、日本および沖縄の文化形成史の特質を如実に物語っている。