安房(関八州) (あわ)
【概説】
江戸幕府が支配した関東の8つの令制国(関八州)の一つ。現在の千葉県南端部(房総半島南部)に位置し、江戸湾の入り口を扼する軍事・交通の要地。戦国大名里見氏の改易後は、幕府直轄領(天領)や旗本領、複数の譜代小藩によって細分化されて支配された。
里見氏の改易と幕府による直轄化
安房国は戦国時代、房総半島に独自の勢力を誇った戦国大名里見氏の本拠地であった。里見氏は豊臣秀吉の小田原征伐に参陣したものの、惣無事令違反を理由に上総国を没収され、安房一国のみを安堵された。徳川家康の関東入国後もその支配は維持されたが、慶長19年(1614年)、安房館山藩主であった里見忠義は大久保忠隣の改易(大久保長安事件等に関連)に連座する形で伯耆国倉吉へと国替(実質的な改易)となり、安房における里見氏の支配は終焉を迎えた。
里見氏の改易後、安房国は徳川幕府の直接的な支配下に入ることとなった。これは、将軍のお膝元である江戸に極めて近い房総半島の南端に、強力な大名が存在することを防ぐという幕府の防衛上の意図によるものであった。
領地の細分化と小藩による分割支配
里見氏去りし後の安房国には、国全体を支配するような雄藩は置かれなかった。代わりに、江戸湾の防備や海上警備、交通の監視といった安全保障上の観点から、国領は徹底的に細分化された。東条藩、房総勝山藩、館山藩(里見氏改易後に再興)などの譜代大名が治める小藩に加え、幕府の直接支配地である天領、そして多数の旗本領が複雑に入り組む分割支配体制が敷かれた。
このような支配体制は、一国規模でのまとまった治水や新田開発を困難にする側面もあったが、幕府にとっては叛乱の余地をなくし、江戸周辺の政治的安定を維持するための極めて有効な統治策であった。
海運の要衝と江戸の消費生活への貢献
地理的に太平洋と江戸湾(東京湾)を分かつ位置にある安房国は、江戸へと向かう物資が通過する海上交通の要衝であった。また、黒潮が流れる豊かな海に面していたため、漁業の適地でもあった。特に江戸時代中期以降、紀伊国(和歌山県)などから先進的な漁法が伝わり、網を用いた鰯(いわし)漁や捕鯨、鰹(かつお)漁などが大いに発展した。
安房で生産された干鰯(ほしか)は、近畿地方をはじめとする先進農業地帯の綿花・菜種栽培に欠かせない金肥(商品肥料)として流通し、海産物は「江戸の胃袋」を満たす重要な食材として供給された。幕末になると、異国船の来航に備えるための江戸湾防備(内海台場建設など)の最前線となり、安房国は軍事的な緊迫感を高めていくこととなる。