孝謙天皇
【概説】
聖武天皇と光明皇后の娘であり、女性として史上唯一の皇太子を経て即位した奈良時代の第46代天皇(のち重祚して第48代称徳天皇)。東大寺の大仏開眼供養を行うなど父の仏教推進政策を受け継いだ。後年は僧・道鏡を重用し、仏教理念に基づく専制政治を展開したことで知られる。
史上唯一の女性皇太子と即位の背景
孝謙天皇は、聖武天皇と藤原不比等の娘である光明皇后の間に生まれた阿倍内親王である。聖武天皇と光明皇后の間には基王という男子がいたが早世したため、天平10年(738年)に女性として日本の歴史上唯一の皇太子に立てられた。この異例の立太子は、天皇の直系血統を維持するとともに、外戚として権力基盤を固めたい藤原氏の強い意向が働いた結果である。天平勝宝元年(749年)に父・聖武天皇の譲位を受けて即位し、第46代・孝謙天皇となった。
大仏開眼供養と藤原仲麻呂の台頭
即位後の天平勝宝4年(752年)、孝謙天皇は父の悲願であった東大寺大仏開眼供養を盛大に挙行し、国家仏教の隆盛を国内外に示した。しかし、治世初期の政治的実権は母である光明皇太后と、彼女の信任を背景に台頭した藤原仲麻呂(のちの恵美押勝)が握っていた。天平勝宝9歳(757年)には、仲麻呂の専横に反発する旧勢力が蜂起を企てた橘奈良麻呂の変が起こるが、これを未然に鎮圧したことで仲麻呂の独裁体制はより強固なものとなった。
譲位と上皇としての権力掌握
天平宝字2年(758年)、孝謙天皇は藤原仲麻呂の推す淳仁天皇に譲位して孝謙上皇となった。しかし、天平宝字4年(760年)に大きな後ろ盾であった母・光明皇太后が崩御すると、仲麻呂との関係に変化が生じる。上皇は自身の病気平癒に尽力した僧の道鏡を深く信任するようになり、政務への介入を強めた。道鏡の排除と政権の維持を図った仲麻呂は天平宝字8年(764年)に反乱を起こすが(恵美押勝の乱)、上皇側は迅速に軍を動かしてこれを鎮圧し、仲麻呂を滅ぼすとともに淳仁天皇を廃位して淡路国へ配流した。
称徳天皇への重祚と歴史的意義
乱を平定した同年、孝謙上皇は再び皇位に就き(重祚)、第48代・称徳天皇となった。重祚後は道鏡を太政大臣禅師、さらには法王という仏教界と政界の最高位に就け、仏教の理念に基づいた強力な専制政治を展開した。神護景雲3年(769年)には道鏡を皇位に就けようとする宇佐八幡宮神託事件が起こるが、和気清麻呂の報告により頓挫した。翌年の宝亀元年(770年)に称徳天皇が崩御すると道鏡は失脚した。彼女は生涯独身を貫いたため、その死によって天武天皇から続いた男系の直系血統は断絶し、新たに天智天皇系の光仁天皇が即位して、皇統の大きな転換点を迎えることとなった。