大日如来 (だいにちにょらい)
【概説】
密教において宇宙の真理そのものを神格化した、最高位に位置する本尊。平安時代初期に空海や最澄によって本格的に導入され、天台密教・真言密教の中心的な信仰対象となった。
密教の世界観と大日如来の性格
大日如来は、サンスクリット語の「マハー・ヴァイローチャナ(大いなる日輪)」の訳語であり、太陽の光のように宇宙のすべてを照らし、育む絶対的な存在とされる。奈良時代の東大寺大仏である毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と起源を同じくするが、密教においては単なる歴史的な仏の一尊ではなく、宇宙の森羅万象、ひいては真理そのものの体現者として再定義された。
密教経典である『大日経』に基づく「胎蔵界(たいぞうかい)」、および『金剛頂経』に基づく「金剛界(こんごうかい)」という2つの世界観(両部曼荼羅)において、大日如来はそのいずれも中心に位置し、すべての仏や菩薩の根源として崇められた。修行者が手に結ぶ印相(ポーズ)も異なり、胎蔵界では「法界定印(ほうかいじょういん)」、金剛界では知恵を象徴する「智拳印(ちけんいん)」を結ぶのが特徴である。
平安仏教における受容と政治・文化への影響
日本における大日如来の信仰は、9世紀初頭に空海(東密・真言宗)と最澄(台密・天台宗)が唐から密教をもたらしたことによって本格化した。特に空海は、大日如来が説く宇宙の心理を体得し、この身のまま仏となる「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」の思想を提示し、それまでの南都仏教に代わる新たな仏教のあり方を示した。
この密教思想は、国家の安泰や貴族個人の現世利益(病気平癒や災難回避など)を祈る加持祈祷(かじきとう)と結びつき、平安貴族の間で熱狂的に受容された。それに伴い、東寺(教王護国寺)の立体曼荼羅に見られるような、大日如来を中心とする優れた密教彫刻や絵画が数多く制作され、平安時代の仏教美術に多大な影響を与えた。また後世には、日本固有の神道と仏教が融合する神仏習合(本地垂迹説)が進むなかで、伊勢神宮の祭神である天照大神は大日如来が姿を変えて現れた神であると解釈されるなど、日本人の精神史に深く浸透していくこととなった。