大久野島 (おおくのしま)
1929〜1945年
【概説】
瀬戸内海に位置し、太平洋戦争期にかけて日本陸軍の毒ガス製造拠点が置かれた島。国際条約で禁止されていた化学兵器の製造を隠蔽するため、軍事機密として国家の地図から抹消された歴史を持つ。現在は「負の歴史」を伝える歴史学習の場となっている。
軍機保護と「地図から消された島」の誕生
1929(昭和4)年、日本陸軍は広島県竹原市沖の大久野島に毒ガス製造工場(東京第一陸軍造兵廠忠海兵器製造所)を設置した。大久野島が選定された理由は、主要都市から程よく離れた孤島であり機密保持が極めて容易であったこと、万が一のガス漏洩事故の際にも本土への被害を最小限に抑えられる地理的条件を備えていたためである。陸軍は毒ガス製造という国際法(ジュネーヴ議定書)に抵触する国家機密を隠蔽するため、1932(昭和7)年以降、陸地測量部が発行する一般向け地形図において、大久野島一帯を空白にするなどの改ざんを施した。これにより、同島は文字通り「地図から消された島」となった。
過酷な労働の実態と戦後に残された課題
大久野島では、皮膚をただれさせるイペリットやルイサイトといった糜爛性(びらんせい)ガスをはじめ、多種類の化学兵器が製造され、これらは主に日中戦争の戦場へと実戦投入された。工場での製造作業には、一般の工員のほか、戦局の悪化に伴い動員された学徒や女性たちも従事した。防護装備が極めて不十分な状況下での作業は過酷を極め、多くの人々が毒ガスの吸入や皮膚接触によって呼吸器障害などの重篤な後遺症に苦しむこととなった。1945(昭和20)年の敗戦に際し、陸軍は証拠隠滅のために毒ガスや資料を廃棄・埋設処分したが、戦後も残留ガスによる環境汚染や元作業員たちの健康被害は長く尾を引き、日本の近代史における戦争の「負の遺産」として今なお語り継がれている。