執事 (しつじ)
【概説】
室町幕府初期において、将軍を補佐し幕政の実務を統括した最高職。足利氏の「家司(かじ)」という家臣団の長に由来する役職。初代将軍・足利尊氏の側近である高師直の活躍によって幕府の公的な要職となり、のちに「管領(かんれい)」へと発展した。
幕府草創期における執事の誕生と高師直
もともと執事とは、鎌倉時代から存在した足利氏の「家政」を司る私的な主職であった。しかし、足利尊氏が室町幕府を開くと、この私的な家臣団の首領がそのまま幕府の公的な政務・軍事の執行機関へとスライドすることになった。その初代として絶大な権力を握ったのが高師直である。
初期の室町幕府は、将軍・足利尊氏が主従制的・軍事的な権限を握り、その弟である足利直義が所領裁判などの政務・司法権を握るという、いわゆる「二元政治」体制をとっていた。高師直は尊氏の執事として軍事実務を主導し、新興の国人・武士層を糾合して急速に権勢を拡大した。これにより、直義の率いる保守的な官僚グループと、師直率いる急進的な武闘派守護グループとの間で深刻な対立が生じることとなった。
観応の擾乱と執事職の変遷
高師直と足利直義の対立は、やがて幕府を二分する大内乱である観応の擾乱(1350年〜1352年)へと発展した。この内乱の中で高師直は滅亡するが、執事の持つ「将軍の軍事的・政治的代理人」としての重要性は失われなかった。師直の死後は、仁木頼章や細川清氏など、足利一門の有力者が相次いで執事に就任し、南朝勢力との戦いや守護大名の統制にあたった。
この時期の執事は、単なる足利家の家政機関から、諸国の有力守護を束ねて幕政を運営する「国家の最高政務機関」へと、その性格を急速に変貌させていった。
斯波高経の改革と「管領」への移行
2代将軍・足利義詮の執事となった斯波高経は、執事の権限をさらに強化し、従来の「将軍家の家臣」という私的な色彩を完全に払拭しようと試みた。1367年、高経は幼少の息子である斯波義将を執事に据える際、その職名を管領(あるいは執事管領)と改称させた。これが室町幕府の最高権力職である「管領」の始まりである。
こうして、将軍の私的補佐役であった「執事」は、有力守護大名(細川氏・斯波氏・畠山氏の三管領)が交代で就任し、将軍を補佐して幕政を合議・統括する公的な制度としての「管領」へと完全に昇華することとなった。