麦と兵隊
【概説】
日中戦争期の1938(昭和13)年に発表された、作家・火野葦平による小説。自身が陸軍報道部員として従軍した徐州作戦の体験をもとに、戦場の兵士たちの日常や人間味をリアルに描き、当時の日本において爆発的なベストセラーとなった戦争文学の代表作。
徐州作戦のリアルと「兵隊作家」の誕生
著者である火野葦平(本名・玉井茂兵衛)は、出征中の1938年、陣中で芥川賞(受賞作『糞尿譚』)の受賞を知らされた。これにより一躍有名となった火野は、陸軍報道部に転属となり、同年に展開された大規模な徐州作戦に従軍することとなる。その過酷な行軍や戦闘、そして生命の危機に晒される兵士たちの姿を、自らの従軍手帳をもとに克明に描き出したのが『麦と兵隊』である。
本作は、それまでの英雄的・超人的な「皇軍」の美化とは一線を画し、極限状態における兵士の飢えや渇き、疲弊、そしてふと見せる人間的な優しさや弱さを活写した。この「兵士の生身の姿」が、戦地に家族を送り出していた銃後の国民の心を強く打ち、300万部を超える空前のベストセラーを記録した。のちに『土と兵隊』『花と兵隊』とともに「兵隊3部作」と称され、火野は「兵隊作家」としての地位を確立した。
情報統制下の文学とプロパガンダとしての機能
歴史的な視点から見れば、『麦と兵隊』は単なる写実主義の文学ではなく、日中戦争期における国家の戦時統制および思想統制と深く結びついていた。日中戦争が泥沼化するなか、1938年には国家総動員法が制定されるなど、日本は急速に総力戦体制へと傾斜していた。文学界も例外ではなく、多くの作家が「ペン部隊」として戦地に派遣され、戦争協力を義務づけられていく。
本作に描かれたリアルな兵士像は、軍による厳重な検閲のもとで「日本軍の暴虐」や「戦争の真の悲惨さ(泥沼化への絶望)」などの不都合な真実が削ぎ落とされた、言わば「管理された写実」であった。軍部にとっても、兵士への親近感を抱かせ、国民の戦意高揚と団結を促す格好のプロパガンダとなり得たのである。文学の自律性が失われ、国策に包摂されていく過渡期を示す象徴的な現象であった。
戦後の評価と「戦争責任」の葛藤
敗戦後、戦時中に国民の戦意を煽った文学作品やその書き手たちは、一転して厳しい批判に晒された。火野葦平も例外ではなく、戦後に連合国軍総司令部(GHQ)によって公職追放の処分を受けた。火野自身は「兵隊への愛着から書いた」という立場を崩さなかったが、自らの作品が結果として多くの若者を戦場へと駆り立てる役割を果たしたという事実に、生涯苦悩し続けた。1960年の彼の自死には、この戦争責任をめぐる葛藤が影を落としていたとされる。
今日において『麦と兵隊』は、昭和戦前期の国民精神の動向や、メディアと国家権力の関係性を分析する上で、極めて重要な歴史的史料として位置づけられている。