坂本龍馬

長崎で亀山社中を結成し、敵対していた薩摩藩と長州藩の同盟(薩長同盟)を仲介し、のちに近江屋で暗殺された土佐の志士は誰か?
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重要度
★★★★

坂本龍馬 (さかもとりょうま)

1836〜1867

【概説】
幕末期の土佐藩出身の志士。土佐藩を脱藩後、長崎で亀山社中(後の海援隊)を設立し、対立関係にあった薩摩藩と長州藩を結びつける薩長同盟の成立に尽力した。さらに平和的な政権交代である大政奉還の構想を推進するなど、武力の行使にとらわれない独自の視点から近代国家成立に向けて多大な貢献をした人物である。

土佐藩脱藩と勝海舟との出会い

天保6年(1836年)、土佐藩(現在の高知県)の郷士(下級武士)の家に生まれた。江戸での剣術修行中にペリーの黒船来航(1853年)を目の当たりにし、国際社会における日本の弱さに強い衝撃を受けた。当初は尊王攘夷思想に傾倒し、武市半平太が結成した土佐勤王党に参加したものの、藩内の厳格な身分制度や急進的な活動に限界を感じ、文久2年(1862年)に土佐藩を脱藩した。その後、幕府の軍艦奉行であった勝海舟と出会い、その開明的な思想に感銘を受けて弟子入りする。勝の庇護の下、神戸海軍操練所で航海術や西洋の近代兵学、国際情勢を学び、世界に目を向けるグローバルな視野を養っていった。

亀山社中(海援隊)の設立と独自の活動

元治元年(1864年)の政変などの影響で神戸海軍操練所が閉鎖されると、龍馬は薩摩藩の西郷隆盛らの保護を受け、慶応元年(1865年)に長崎で亀山社中(慶応3年に海援隊と改称)を設立した。これは日本初の近代的な商社兼私設海軍とも評価される組織である。当時の長崎は西洋兵器の輸入拠点であり、龍馬はトーマス・グラバーら外国商人から武器や艦船を調達し、物資の輸送や商業活動を通じて利益を得るという、従来の武士の枠組みに捉われない活動を展開した。この確固たる経済的基盤と独自の航海ネットワークが、後の政治的調停における大きな武器となった。

薩長同盟の仲介とその歴史的意義

当時の幕末政局において、幕政改革を目指す薩摩藩と、急進的な尊王攘夷を掲げる長州藩は、「八月十八日の政変」や「禁門の変」での衝突を経て激しく対立していた。しかし、強大な幕府に対抗するためには雄藩同士の結託が不可欠であった。龍馬は、同郷の中岡慎太郎らとともに両藩の和解に奔走する。亀山社中を通じ、幕府から武器の購入を禁じられていた長州藩のために薩摩藩名義で武器・艦船を調達し、逆に食糧難に陥っていた薩摩藩へ長州藩から米を供給させるという経済的・軍事的な互恵関係を築き上げた。この実績をもとに、慶応2年(1866年)1月、京都にて西郷隆盛(薩摩)と桂小五郎(長州)を引き合わせ、ついに薩長同盟を成立させた。これにより倒幕への巨大な軍事同盟が形成され、歴史の歯車は討幕へと一気に加速することになる。

新国家構想と大政奉還の推進

薩長同盟によって武力討幕の機運が高まる一方で、龍馬は内戦による国力の疲弊と欧米列強の介入を危惧し、平和的な政権交代と近代国家の建設を模索していた。慶応3年(1867年)、長崎から上京する船中で、土佐藩参政の後藤象二郎に対して新たな国家構想を示したとされる(いわゆる「船中八策」)。これには、政権を朝廷に返上させることや、上下両院の議会開設、憲法の制定、近代的な軍備の創設などが含まれていた。後藤はこの案を採用し、前土佐藩主の山内豊信(容堂)を通じて第15代将軍・徳川慶喜に建白した。その結果、同年10月14日、慶喜による大政奉還が実現し、およそ260年続いた江戸幕府の支配は名実ともに終焉を迎えた。

近江屋事件と後世への影響

大政奉還が成立し、新政府の樹立に向けた準備が急ピッチで進められる中、慶応3年11月15日(1867年12月10日)、龍馬は京都の醤油商・近江屋に滞在中に刺客の急襲を受け、盟友の中岡慎太郎とともに暗殺された(近江屋事件)。享年33。実行犯については長らく諸説あったが、現在では幕府の治安維持組織である京都見廻組による犯行とする説が有力である。明治維新という新しい時代の幕開けを見届けることなく凶刃に倒れたが、藩という既存の枠組みを超えて各勢力を結びつけ、日本を近代的な独立国家へと導いたその卓越した構想力と行動力は、後世の歴史に多大な影響を与え続けている。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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