日野資業 (ひのすけなり)
988年〜1070年
【概説】
平安時代後期の貴族であり、学問をもって朝廷に仕えた日野流藤原氏の祖。末法思想が世に広まる中、宇治郡日野の別邸を改めて法界寺を建立し、薬師如来を安置したことで知られる。
日野流藤原氏の祖としての官人キャリア
藤原北家魚名流の流れを汲む藤原有国の子として生まれた藤原(日野)資業は、家学である紀伝道(漢文学・歴史学)を修め、朝廷において文章博士(もんじょうはかせ)や式部大輔などを歴任した優秀な文人貴族であった。資業の系統は、山城国宇治郡日野(現在の京都市伏見区日野)の地に拠点を置いたことから、後に日野家と呼ばれるようになる。日野家は代々、儒学や朝廷の儀式に通じる名門家系として存続し、鎌倉時代に浄土真宗を開くことになる親鸞もこの日野家の血筋から誕生している。資業はその一族の精神的・物理的基盤を築いた実質的な祖であった。
末法思想の到来と法界寺の建立
資業が歴史上にその名を留める契機となったのが、1051(永承6)年に一族の別業(山荘)を改めて薬師如来を本尊とする法界寺(ほうかいじ)を建立したことである。翌1052(永承7)年は、仏教の正しい教えが廃れるとされる「末法(まっぽう)」の初年に当たると信じられており、当時の貴族社会には強い現世不安と来世への危機感が蔓延していた。このような時代背景のもと、資業は自らの救済と一族の繁栄を願い、病気平癒や現世利益の仏である薬師如来を安置する寺院を創設した。この法界寺は日野家の菩提寺として発展し、平安末期には阿弥陀堂(国宝)が建立されるなど、浄土信仰(極楽往生を願う信仰)の聖地としても重要な役割を果たすこととなった。