在郷町 (ざいごうちょう)
【概説】
江戸時代の農村部に形成された、商業や手工業の機能を持つ半都市的な集落。農山漁村における商品経済の発達や交通路の整備を背景に、定期市の開催地や交通の要衝が恒常的な取引の場へと発展したものである。
在郷町の成立背景と多様な形態
織豊政権から江戸幕府にかけて推し進められた兵農分離政策により、武士や特権的な商人は城下町に集住させられ、農村における自由な商業活動は一時的に抑制された。しかし、17世紀半ば以降、農業技術の向上によって農村部で商品作物(綿、麻、藍、菜種など)の栽培が盛んになると、農村内部での物資の流通・集散を担う拠点が不可欠となった。
こうした中で、中世以来の定期市の開催地や、主要な街道の宿場町、あるいは水上交通の要衝である河港や港町、有力寺社の門前町などが、恒常的な店舗や家内工業の作業場を持つ「在郷町」へと変貌していった。在郷町は、周辺農村から原材料を買い集めて加工し、城下町や三都(江戸・大坂・京都)へと出荷するほか、都市部から流入する日用品を農村へ供給する仲介地としての役割を果たした。
城下町との流通闘争と歴史的意義
在郷町の成長は、それまで城下町の特権商人や都市の株仲間が独占していた流通ルートを脅かす存在となった。藩や幕府は当初、城下町経済の保護や年貢米・特産品の流通統制(国産専売制など)の観点から在郷町での取引を制限しようとしたが、農村の購買力向上と地方産業の発達を背景に、在郷町の活動を完全には抑え込めなかった。
江戸中期以降になると、在郷町の商人は「在郷商人(在方商人)」として台頭し、都市の特権商人を介さない独自の広域流通網を形成する。これにより、大坂周辺などの先進地域では、都市商人の独占に対抗して周辺農村が集団で訴訟を起こす国訴(くにそ)が頻発するようになった。在郷町の発展は、従来の幕藩制的な特権的流通秩序を内側から揺るがし、幕末から近代へとつながる地方産業(マニュファクチュアなど)の自立的な発展を促す足がかりとなった。