南北戦争
【概説】
1861年から1865年にかけて、アメリカ合衆国の統一と奴隷制をめぐって発生した未曾有の内戦。この戦争によりアメリカのアジア外交は著しく停滞し、戦後に生じた大量の軍事余剰物資が日本へ流入したことで、日本の幕末政局や戊辰戦争の推移に決定的な影響を与えた。
アメリカの外交後退と幕末政局の変容
ペリーの来航や日米修好通商条約の締結など、幕末における日本の開国を主導したのはアメリカであった。しかし、1861年に本国で南北戦争が勃発すると、アメリカ政府は国内の戦乱対応に追われ、極東外交に割く人的・軍事的余力を完全に失うこととなった。このアメリカの外交的後退は、日本における西欧列強の勢力図を大きく塗り替えた。アメリカの空白を埋めるように、駐日英国公使オールコックやパークス、仏国公使ロッシュが台頭し、イギリスが倒幕派(薩長)を、フランスが幕府を支援するという、英仏主導の対立構図が形成される要因となった。
「戦争の遺産」たる近代的兵器の流入
1865年に南北戦争が北部の勝利で終結すると、アメリカ国内には両軍が使用していた大量の軍事余剰物資が残された。特にミニエー銃やスナイドル銃といった近代的ライフル銃、さらにはガトリング砲などの最新兵器が、上海などの東アジア市場を経由して日本へ急速に流入した。これらを仲介したのが、長崎のトーマス・グラバーや、会津藩に接近したスネル兄弟などの武器商人である。アメリカ内戦が生んだ安価で大量の最新兵器は、薩摩・長州をはじめとする諸藩の軍事改革を可能にし、のちの戊辰戦争における戦闘の近代化と激甚化をもたらすこととなった。
軍艦「甲鉄」をめぐる争奪戦と終局
南北戦争が日本の内戦に与えた最も直接的な影響が、装甲艦「甲鉄」(旧名ストーンウォール号)をめぐる動向である。もともと江戸幕府がアメリカに発注していたこの最新鋭の鉄甲船は、南北戦争の混乱によって日本への引き渡しが遅れ、さらに日本で戊辰戦争が勃発すると、アメリカ政府は局外中立を理由に引き渡しを拒絶した。しかし、新政府軍の優勢が明らかになると、アメリカは中立を解除して新政府側に同艦を引き渡した。この「甲鉄」の存在は、宮古湾海戦や箱館戦争において新政府軍に圧倒的な制海権をもたらし、旧幕府軍(榎本武揚ら)の反抗を封じる決定打となった。