前句付 (まえくづけ)
【概説】
江戸時代に広く流行した俳諧による言葉遊びの一種。出題された七・七の短句(前句)に対して、参加者が五・七・五の長句(付句)を合わせ、その機知や滑稽さを競い合う文芸。のちの「川柳」の源流となったことで知られる。
前句付の仕組みと文芸的背景
日本の伝統的な詩歌である連歌や俳諧は、複数の人々が交互に句を詠み連ねていく共同制作(座の文芸)であった。この「付合(つけあい)」のプロセスから、特定の問いかけに対して機知に富んだ答えを返すという双方向の遊びが独立し、前句付が誕生した。
ルールは極めてシンプルである。まず出題者(点者)が「前句(まえく)」と呼ばれる七・七の句を提示する。これに対し、解答者はその意味や状況を補完し、一首の短歌(五・七・五・七・7)として完成するように、五・七・五の「付句(つけく)」を考案する。前句には「きりはじめてゆく」や「物のはじめは」といった、多様な解釈ができる抽象的なお題が選ばれることが多く、解答者には日常の観察眼やユーモアのセンスが求められた。
「万句合」の流行と庶民の娯楽化
江戸時代中期に入ると、前句付は「万句合(まんくあわせ)」と呼ばれる興行形態へと進化し、空前の大流行を見せる。興行主である点者がお題(前句)を刷った「配り札」を町中に配り、一般大衆から広く付句を募集した。応募者は一口いくらという手数料を支払って投句し、点者が選んだ優秀作(勝句)の作者には賞金や賞品(傘、扇子、衣類など)が与えられた。
このシステムは、知的な言葉遊びでありながら、一種の懸賞金付きのギャンブル(富くじなど)のような側面も持っていたため、都市の町人だけでなく、周辺の農民階級にまで爆発的に普及した。身分制度の厳しかった江戸時代において、教養や階級に関わらず、純粋に言葉のセンスだけで競い合える数少ない庶民娯楽であった。
「川柳」の誕生と歴史的意義
前句付が日本文学史上で極めて重要視されるのは、これが現代にも続く「川柳(せんりゅう)」の母体となったからである。18世紀後半(宝暦年間)、江戸の浅草で前句付の点者として活躍した柄井川柳(からいせんりゅう)は、庶民から寄せられた無数の付句の中から、特に人間の本質や世相を鋭く風刺した傑作を選び抜いた。彼の選んだ句は、のちに『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』という選集として出版され、ベストセラーとなる。
この『誹風柳多留』に収録された付句は、前句というお題がなくても、五・七・五の17音だけで十分に独立した文学(詩)として成立していた。こうして前句から切り離され、五・七・五の口語(話し言葉)によるユーモアや社会風刺を特徴とする独自の文芸ジャンル「川柳」が誕生した。前句付は、堅苦しい文学の枠組みを解き放ち、日本の庶民文学の発展に決定的な役割を果たしたのである。