内蒙古 (ないもうこ)
【概説】
モンゴル高原の南部(現在の中国内モンゴル自治区)に位置する地域。1930年代の昭和期において、日本(関東軍)が華北分離工作の一環として進出し、対ソ連・対共産主義の防波堤(防共回廊)の構築と資源獲得を目指した地政学的要衝である。
満州事変と内蒙古への進出背景
1931年の満州事変以降、満州国を建国した関東軍は、その西隣に位置する内蒙古(熱河・察哈爾・綏遠の各省など)への進出を目論んだ。内蒙古は、満州国の安全保障を確保する上で極めて重要な緩衝地帯であり、同時にソビエト社会主義共和国連邦や、その影響下にあったモンゴル人民共和国(外蒙古)と対峙するための最前線でもあった。
関東軍は、中国(中華民国・国民政府)からの独立・自治を志向していたモンゴル人貴族の徳王(デムチュクドンロブ)が率いる蒙古自治運動に接近した。日本側はこの運動を支援・利用することで、中国の主権を切り崩して自らの影響力を拡大する「内蒙工作(対蒙工作)」を本格化させていった。
傀儡政権の樹立と「蒙疆」の形成
1936年、関東軍の援助を受けた徳王の軍隊が綏遠省に侵攻する綏遠事件(すいえんじけん)が発生したものの、中国側の反撃に遭い失敗に終わった。しかし、1937年に日中戦争が全面化すると、日本軍は武力によって内蒙古一帯を占領。察南自治政府、晋北自治政府、そして徳王を首班とする蒙古連盟自治政府を樹立させた。
これらの傀儡政権は1939年に統合され、蒙古聯合自治政府(のちに蒙古自治邦政府に改称)となった。この地域は「蒙古」と「境界」の文字を組み合わせて蒙疆(もうきょう)と呼ばれ、満州国やのちの汪兆銘政権とは異なる、日本(駐蒙軍)の強い影響下におかれた独自の親日政権支配地域として機能した。
「防共の防波堤」と資源供給地としての役割
日本にとって内蒙古の支配は、二つの重要な意味を持っていた。第一に、ソ連や中国共産党(延安の毛沢東勢力)による赤化の脅威に対抗するための「防共の壁」としての位置づけである。1936年の日独防共協定や、その後の日中共同防共の基本方針に基づき、日本軍(駐蒙軍)がこの地に駐屯し、共産主義勢力の南下を阻止する防衛線を構築した。
第二に、日本の戦時経済・軍需産業を支える資源の供給地としての役割である。内蒙古の大同炭鉱から産出される良質な石炭や、宣化鉄山の鉄鉱石は、日本が戦争を継続するための貴重な資源として、国策会社である蒙疆電中電氣工業などを通じて徹底的に開発・略奪された。このように内蒙古は、昭和期における日本の軍国主義・大陸侵略政策の中で、満州に次ぐ「生命線」として利用された歴史を持っている。