公議所
1869年
【概説】
明治新政府によって1869年(明治2年)に設置された、各藩の代表者(公議人)によって構成された立法・諮問機関。五箇条の御誓文に掲げられた「公議世論」の精神を具体化し、諸藩の意見を国政に反映させるための最初の試みであった。
設置の背景と「公議輿論」の実現
明治維新直後の新政府は、薩長土肥の有力藩を中心とする政権であり、その権力基盤は極めて不安定であった。そのため、全国の諸藩を納得させ、国家的な統合を図るためには、合議による意思決定(公議輿論)の姿勢を示す必要があった。1868年に発布された五箇条の御誓文の第一条「広く会議を興し、万機公論に決すべし」という方針に基づき、翌1869年3月、各藩から1名ずつ選出された代表者(公議人)が集まる「公議所」が東京に開設された。初代議長には津田真道が就任し、近代的な議会政治の先駆的な形が整えられた。
公議所の活動と集議院への改称
公議所では、割腹(切腹)や帯刀の廃止、身分制の改革、外国人の扱いなど、多岐にわたる国家的な課題が議論された。しかし、公議人の多くは封建的な思想を残す地方の藩士であったため、進歩的な提案が否決されることも多く、新政府が目指す急進的な近代化の障害となる側面もあった。同年6月の版籍奉還に伴う官制改革により、公議所は集議院へと改称・縮小され、やがて太政官制の強化(官僚主導の体制移行)にともなって、1873年には完全に廃止された。公議所は短命に終わったものの、のちの自由民権運動や国会開設へと至る、日本の議会開設運動の出発点として位置づけられる。