公事 (くじ)
【概説】
日本の荘園公領制および中世の領主支配下において、年貢とは別に領主に納められた税。米や絹を主体とする主税(年貢)に対し、手工業製品や各地の特産物(糸、炭、魚、紙など)、あるいはそれらに代わる貨幣などを納める義務を指す。中世を通じて年貢・夫役(ぶやく)と並ぶ主要な税体系として機能した。
公事の成立と荘園公領制
平安時代中期、律令体制に基づく人身支配と租庸調の税制が崩壊し、土地を媒介とした課税へと移行する中で、荘園公領制が成立した。この過程で、基幹となる水田から徴収される米(本途年貢)とは別に、屋敷地や山林・河海からの収益、あるいは家や人を課税基準として徴収される税として公事が形成された。公事の語源は朝廷や国衙の公的な行事・役務(おおやけごと)に由来するが、次第に荘園領主(本家・領家)や地頭などの領主が自らの財政を維持するための重要な財源となっていった。
多様な公事の展開と代銭納化
公事として納められる品目は、特産品を指す雑公事(ぞうくじ)をはじめ、領主の衣食住や年中行事に必要なあらゆる物資に及んだ。具体的には、布、糸、紙、薪、炭、漆、さらには魚介類や野菜など多岐にわたる。中世中期以降、貨幣経済が急速に国内に浸透すると、これらの物納に代わって銭貨で税を納める代銭納(だいせんのう)が普及した。これにより、公事の徴収は簡素化されるとともに、農民や職人が生産物を市場で換金する動きを促し、地方の商業や流通の活性化をもたらす契機となった。
太閤検地による旧体制の解体とその後
中世の公事は、職人や商人が領主に物資を納める代わりに、生産・販売の独占権(座の特権など)を得るという、中世特有の主従関係とも密接に結びついていた。しかし、16世紀末に豊臣秀吉が実施した太閤検地により、こうした複雑な中世的権利関係は整理された。すべての土地の生産力が米の収穫量を示す「石高(こくだか)」で表され、税制が石高を基準とする年貢へと一本化されたため、中世的な「公事」は原則として消滅した。江戸時代には、山林や漁場などの利用に対する雑税として「小物成(こものなり)」などが残されたが、中世の公事とはその性質を異にしている。