佃(正作・用作)

地頭などの武士が自ら領有し、下人や所従などを働かせて耕作させた直営の田畑を何というか?
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佃(正作・用作)

【概説】
中世の荘園・公領において、在地領主や地頭などの武士が年貢を免除され、下人らを使役して直接経営した直轄地。地域によって正作、用作、門田などとも呼ばれた。武士の経済的・軍事的基盤であり、在地支配の強力な拠点として機能した。

荘園公領制下における「佃」の成立と多様な呼称

中世社会における「佃」は、主に在地領主や鎌倉幕府から補任された地頭が、自己の館(やかた)の周辺などに設けた直轄の農地を指す。本来、荘園や公領の田地は領主へ年貢や公事を納める義務を負っていたが、佃は在地領主の特権としてこれらの負担が免除される免田(むでん)として扱われた。

この直営地は全国一律の名称を持っていたわけではなく、地域によって多様な呼称が存在した。関東や東北地方では正作(しょうさく)、九州地方などでは用作(ようさく)と呼ばれた。また、領主の館の門前に広がることから門田(かどた)、みずから耕作させるという意味合いから御作(みつくり)や手作(てづくり)といった呼び名も用いられた。これらは名称こそ異なれど、武士の直営地という本質的な機能において共通している。

地頭による直接経営と労働力の実態

佃の最大の特徴は、その経営方式にある。一般の田地が名主(みょうしゅ)などの農民に請け負わされ、そこから年貢を徴収する間接的な収取形態をとっていたのに対し、佃は地頭による直接経営が行われた。

具体的な労働力として投入されたのが、地頭に隷属する下人(げにん)や所従(しょじゅう)と呼ばれる身分的に不自由な階層である。彼らは館に住み込み、あるいは周辺に居住して、牛馬を用いた耕作や収穫などの過酷な労働に従事した。また、田植えや稲刈りなどの農繁期には下人だけでなく、荘園内の一般農民(名主や作人)に対しても、強制的な夫役(ぶやく)を課して佃の農作業に動員することがあった。このようにして得られた収穫物はすべて地頭の直接的な収入(得分)となり、武士の日常的な生活費や武具の調達、さらにはいざという時の軍資金として機能したのである。

武士の在地支配機構としての意義と「荘園侵略」

鎌倉時代における佃の存在は、単なる一農地にとどまらず、武士の在地支配の根幹をなすものであった。地頭は自らの館を中心とし、その周囲に広がる佃と、労働力である下人を掌握することで、在地における強固な経済的・軍事的基盤を築き上げた。

さらに、鎌倉時代中期以降、地頭が荘園領主(貴族や寺社)の支配を排除しようとする荘園侵略を推し進める中で、佃は重要な役割を果たす。地頭は検断権などの職権を乱用し、未開発の荒野を勝手に開墾して自己の佃に組み入れたり、農民が耕作を放棄した逃亡跡地を佃として接収したりして、直轄地を貪欲に拡大させていった。荘園領主との紛争解決策として導入された地頭請(じとううけ)や下地中分(したじちゅうぶん)といった制度的妥協においても、地頭は自己に分割・請け負わされた土地の多くを実質的な佃として編成し直し、在地における一円支配(排他的な領主権)を確立していくこととなる。

社会構造の変化と佃の変容・解体

しかし、鎌倉時代から室町時代、そして戦国時代へと移行するにつれて、佃をめぐる社会状況は大きく変化していく。農業技術の進歩や貨幣経済の浸透に伴い、隷属的であった下人層が徐々に自立し、独立した小農民へと成長し始めたのである。同時に、惣村(そうそん)と呼ばれる農民の自治的結合が強固になり、領主による恣意的な夫役動員への激しい抵抗がみられるようになった。

これにより、大量の隷属民や無償労働を前提とした直営方式の維持は極めて困難となった。在地領主は経営方針の転換を余儀なくされ、佃を農民に割り当てて一定の小作料(加地子など)を徴収する、事実上の小作地(作職の成立)へと移行させていった。最終的に、安土桃山時代に行われた豊臣秀吉の太閤検地によって、土地と耕作者の結びつきが一地一作人の原則として公的に確定され、中世的な直営地としての「佃」は歴史的役割を終えて完全に解体されることとなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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