ロエスレル
【概説】
明治時代にお雇い外国人として来日したドイツの法学者・経済学者。伊藤博文らの憲法起草作業に対して多大な助言を与え、大日本帝国憲法の成立に決定的な役割を果たした人物。また、商法草案の起草など、日本の近代法制の確立に広く貢献した。
明治政府の招聘と「お雇い外国人」としての活動
1878年(明治11年)、ロエスレルは外務省顧問として日本政府に招聘された。当時、明治政府は欧米列強との不平等条約の改正を目指しており、そのためには国際社会に通用する近代的法制度の整備が急務であった。ロエスレルはプロイセン(ドイツ)の法学者として優れた実績を持っており、来日後は外務省のみならず、内閣の制度取調局などでも諮問に応じる立場となった。
特に1881年の「明治十四年の政変」によって、イギリス型の議院内閣制を主張する大隈重信が失脚し、伊藤博文を中心とするプロイセン型の保守的な立憲君主制を目指す方針が確定すると、ロエスレルの存在感は急速に高まった。伊藤が憲法調査のために渡欧した際にも現地での調査を陰で支え、帰国後の起草作業において実質的な指導者としての役割を担うこととなった。
大日本帝国憲法起草における理論的指導
大日本帝国憲法の起草作業は、伊藤博文を中心に、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らによって非公開で行われた。この起草チームに対して、ロエスレルは法理的な妥当性や国際的な視点から、逐一草案に対する助言や修正案を提出した。
ロエスレルは、強力な君主権を核としつつも、専制政治ではなく「法治主義」に基づく立憲制を志向した。彼は、天皇の権能を憲法の枠内に位置づけるとともに、議会の予算協賛権や立法協賛権を認め、内閣の各国務大臣が天皇に対して直接責任を負うという体制を推奨した。これは、日本の国情や皇室の伝統を尊重しながらも、近代的な国家権力の分立を図るための高度な法理学的調整であり、その後の日本の国家体制の方向性を決定づけるものとなった。
商法の起草と日本の近代法制度への足跡
ロエスレルの功績は、憲法制定にとどまらず広範な法分野に及んでいる。特に彼が起草した商法草案は、1890年(明治23年)に「商法(旧商法)」として公布された。この草案は、フランス法的な色彩が強かった当時の司法省の草案に対し、ドイツ法的な視点を取り入れたものであった。しかし、この商法は日本の慣習に合わないとして、民法典論争と同様の「商法典論争」を巻き起こし、施行が延期されるなどの紆余曲折を経ることとなった。
それでもなお、ロエスレルが提示した近代的私法の概念は、その後の日本の法解釈や法典編纂に極めて大きな影響を与えた。彼は1893年(明治26年)に日本を去るまで、約15年間にわたりお雇い外国人の重鎮として、司法・行政の両面において草創期の明治国家を法的に方向づけ続けたのである。