伊藤野枝

平塚らいてうから雑誌『青鞜』の編集を引き継いで無政府主義的な主張を展開し、のちに関東大震災の混乱の中で大杉栄とともに殺害された女性は誰か?
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重要度
★★

【参考リンク】
伊藤野枝(Wikipedia)

伊藤野枝 (いとうのえ)

1895年〜1923年

【概説】
大正期に活躍した無政府主義(アナキズム)運動家、女性解放運動家。平塚らいてうから女性文学思想団体の機関誌『青鞜』の編集・経営を引き継ぎ、既成の道徳や家父長制に抗う急進的な女性解放を主張した。のちに社会主義者の大杉栄のパートナーとなりアナキズム運動に身を投じたが、関東大震災直後の混乱期に憲兵隊によって虐殺された。

『青鞜』の継承と既成道徳への挑戦

福岡県に生まれた伊藤野枝は、上京して上野高等女学校(現・上野学園)で学ぶ中で、翻訳家・無政府主義者の辻潤と出会い結婚した。その後、平塚らいてうらが創刊した日本初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』に参加。らいてうらの個人主義的な「元始、女性は太陽であった」というロマン主義的女性解放運動から一歩進み、より社会的・実践的な活動へと関心を広げていった。

1915(大正4)年、らいてうから『青鞜』の編集・経営を引き継ぐと、野枝は誌面を大きく転換させた。従来の文学的アプローチを超え、貞操論争や堕胎の是非、廃娼運動など、当時の家父長制社会における最大のタブーに真っ向から切り込む論説を次々と掲載した。これにより『青鞜』は社会的な激しい非難を浴び、政府による度重なる発禁処分を受けながらも、大正デモクラシー期における女性の自己主張と権利獲得の最前線となった。しかし、資金難や執拗な社会的弾圧により、1916年に『青鞜』は休刊を余儀なくされた。

アナキズムへの傾倒と大杉栄との共同活動

辻潤との離別後、野枝は思想的・行動的に強く共鳴した無政府主義(アナキズム)運動の指導者である大杉栄と結ばれ、共同生活を始めた。これにより彼女の思想は、単なる女性解放運動の枠を超え、国家や資本主義そのものを否定する階級闘争・アナキズム運動へと合流していくことになる。

大杉とともに「労働運動」の編集や執筆に携わった野枝は、1921(大正10)年に結成された日本初の先駆的な社会主義女性団体である赤瀾会(せきらんかい)の設立を後方から支援した。山川菊栄らを中心とした赤瀾会は、同年の第2回メーデーにおいて治安警察による過酷な弾圧を受けながらもデモを敢行し、無産階級の女性労働者の解放を力強く訴えた。野枝はこれらの運動を通じ、治安警察法に基づく国家権力の圧迫に晒されながらも、妥協のない抵抗を貫いた。

関東大震災と「甘粕事件」による最期

1923(大正12)年9月1日、南関東一帯を襲った巨大地震(関東大震災)は、東京を中心とする都市社会を大混乱に陥れた。この非常事態のさなか、政府や軍の一部、右翼勢力は「社会主義者や朝鮮人が暴動を起こしている」というデマ(流言飛語)を利用し、国家にとって不都合な危険思想家や社会主義者の排除を画策した。

震災発生から半月が経過しようとしていた9月16日、野枝は大杉栄、そして大杉の甥であったわずか6歳の橘宗一とともに、憲兵隊によって連行された。彼らは東京憲兵隊麹町分隊において、憲兵大尉の甘粕雅彦らによって虐殺され、その遺体は古井戸に遺棄された(甘粕事件)。国家の不法暴力によって幼児までもが犠牲となったこの事件は、大正デモクラシーの終焉と、その後に急速にファシズム(軍国主義)へと傾斜していく昭和初期の暗い時代を予兆する悲劇となった。

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定本伊藤野枝全集 第2巻 評論・随筆・書簡1-青鞜の時代

大正期に女性の権利を訴え、時代を切り拓こうとした情熱あふれる思考と生き様を鮮やかに刻みつけた記念碑的評論集。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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