伊井弥四郎

二・一ゼネストを全官公庁共闘委員会の議長として指導したが、GHQの中止命令を受けて、ラジオ放送で涙ながらに中止を呼びかけた人物は誰か?
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【参考リンク】
伊井弥四郎(Wikipedia)

伊井弥四郎 (いいやしろう)

1905年〜1985年

【概説】
昭和初期から戦後にかけて活躍した労働運動家。1947年の「二・一ゼネスト」計画において全官公庁共同闘争委員会の議長としてストライキを指導したものの、連合国軍最高司令官マッカーサーの中止命令を受け入れ、ラジオ放送で中止を涙ながらに宣言した人物として知られる。

二・一ゼネストの計画と指導

第二次世界大戦後の日本は、激しいインフレーションと深刻な食糧難に見舞われ、国民生活は極限状態にあった。こうした中、官公庁の労働者を中心に生活擁護と吉田茂内閣の打倒を掲げる運動が急速に高まり、1946年暮れに「全官公庁共同闘争委員会(全官公共闘)」が結成された。伊井弥四郎はこの全官公共闘の議長に就任し、国鉄労働組合などの強力な組織力を背景に、1947年2月1日を期した大規模なゼネラル・ストライキ(ゼネスト)を計画・指導した。

マッカーサーの中止命令と「一歩退却」の決断

計画されたゼネストは、日本の社会インフラを完全に麻痺させ、戦後最大の政治危機をもたらす規模に達していた。これを懸念した連合国軍最高司令官(GHQ)のマッカーサーは、決行前日の1月31日午後、ストライキの絶対中止を命じる覚書を発表した。占領軍の絶対的な権力を前に、伊井ら指導部は抗戦を断念せざるを得ず、同日夜、伊井はラジオ放送を通じて国民にストライキ中止を発表した。この際、彼が語った「一歩退却、二歩前進」という言葉は、当時の労働運動の苦渋の選択を象徴するものとして、戦後史に深く刻まれている。

暗い谷間の労働運動 (岩波新書〈青版B-83〉)

炭鉱労働者の過酷な現実と団結の闘争を描き出し、日本の労働運動史に深く刻まれる労働者たちの熱き魂の記録。

戦後日本共産党史 (こぶし文庫)

戦後民主化の潮流の中で変転を繰り返した日本共産党の軌跡を、緻密な資料分析で解き明かす歴史的考察の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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