五重塔(小説)

幸田露伴が執筆し、不器用な大工の十兵衛が周囲の反発を押し切って立派な塔を建て上げる姿を描いた小説は何か?
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重要度
★★★

五重塔(小説)

1891年〜1892年

【概説】
幸田露伴が著した明治時代中期の代表的小説。不器用だが一途な大工「のっそり十兵衛」が、猛烈な嵐にも耐え抜く立派な五重塔を建立するまでの職人魂を描いた作品。急速な近代化が進む明治日本において、日本の伝統的な美意識や精神主義を高く掲げ、「紅露時代」と呼ばれる文学の黄金期を象徴する傑作として評価されている。

欧化主義への反動と「擬古典主義」の台頭

明治20年代(1880年代後半〜1890年代前半)、日本の思想・文学界は大きな転換期を迎えていた。政府主導の極端な欧化主義(鹿鳴館時代)に対する反発から、政教社の三宅雪嶺らによる国粋保存主義が唱えられるなど、日本の伝統的な価値観や美意識を再評価する機運が高まっていた。文学界においても、坪内逍遥や二葉亭四迷らによる近代小説の模索を経て、井原西鶴などの近世文学に見られる雅俗折衷の文体を復活させる擬古典主義が台頭した。

幸田露伴は、尾崎紅葉とともにこの潮流の中心的人物となり、世に「紅露時代」と呼ばれる明治文学の黄金期を築き上げる。『五重塔』は、1891年(明治24年)から翌年にかけて新聞『国会』に連載された作品であり、露伴の理想主義的で剛健な作風が最もよく表れた代表作である。

「のっそり十兵衛」の執念と物語の展開

物語の舞台は江戸時代の谷中天王寺(現在の東京都台東区)である。川越の源太という腕も人望もある大工の棟梁が五重塔の建立を命じられるが、普段は「のっそり」と呼ばれて周囲から軽んじられている不器用な大工・十兵衛が、自身の職人としての命を賭してその仕事を請け負おうと名乗りを上げる。源太は度量を示して仕事を十兵衛に譲り、十兵衛は世間の冷笑や数々の妨害にも屈せず、一心不乱に塔を組み上げていく。

完成直前に江戸を未曾有の暴風雨が襲うが、十兵衛が建てた五重塔は微動だにせず、彼の見事な職人技と凄まじい執念が証明されるという筋書きである。世俗的な成功や人間関係に背を向けて自己の芸術と仕事にのみ没入する十兵衛の姿は、強烈な個性を放っている。

近代化へのアンチテーゼと「職人魂」の礼賛

本作が執筆された明治中期は、日本の産業革命の端緒が開かれ、近代資本主義と実利主義が急速に社会へ浸透していく時代であった。そのような時代の空気の中で、露伴が『五重塔』において描いた「職人魂」や、採算や世評を度外視してでも完璧な仕事を目指す芸術至上主義的な態度は、効率と利益を追求する近代社会に対する一種のアンチテーゼとしての意味合いを持っていた。

十兵衛の愚直なまでの真っ直ぐさと、それを認める源太や上人の精神的な広さは、日本人が古来重んじてきた道徳観や求道的な美意識を色濃く反映しており、当時の読者に強い共感と感動を与えた。

日本文学史・文化史における意義

『五重塔』は、漢語を多用した格調高く力強い文体で書かれており、そのリズミカルな文章は物語の緊張感を大いに高めている。近代的な自我の葛藤や社会の暗部を描く自然主義文学が主流となる以前の日本文学において、個人の強い意志や理想を男性的に描き切った本作は、明治文学の一つの到達点と見なされている。

また、モデルとなった谷中天王寺の五重塔は、江戸時代の寛政年間に実際に再建されたものであり(1957年に谷中五重塔放火心中事件により惜しくも焼失)、本作の影響もあって東京を代表する名所として長く親しまれた。日本の伝統的な職人気質と人間の崇高な精神力を描いた不朽の名作として、本作は日本史・文化史を理解する上でも重要な位置を占めている。

五重塔 (岩波文庫 緑 12-1)

・職人としての矜持を賭け、凄まじい執念で塔を組み上げる男の壮絶な生き様を描き切った、不朽の芸術的名作。

徳山道助の帰郷・殉愛柏原兵三著、講談社文芸文庫。初版。解説・松本道介。第五八回芥川賞受賞作。

・故郷への郷愁と純粋な愛を静謐な筆致で綴り、芥川賞を受賞した、日本文学の繊細な心理描写が光る珠玉の短編集。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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