世界周航記 (せかいしゅうこうき)
1810年〜1812年刊行
【概説】
ロシアの海軍軍人クルーゼンシュテルンが著した、ロシア初の世界周航の記録。江戸時代後期における日本の対外認識や北方情勢への関心、そしてのちの大事件へとつながる学術交渉において、重要な役割を果たした書物である。
クルーゼンシュテルンの航海と日本
著者のクルーゼンシュテルンは、ロシア皇帝アレクサンドル1世の勅命を受け、1803年から1806年にかけてロシア海軍初の世界周航を指揮した。この航海の主目的は、ロシアの太平洋貿易の開拓と、日本との国交・通商交渉を行う使節レザノフを長崎へ送り届けることであった。長崎への来航自体は幕府の拒絶により国交樹立には至らなかったが、帰国後に刊行された彼の航海記には、千島列島や蝦夷地(北海道)、サハリン(樺太)周辺の貴重な地理的データや、当時の日本の社会情勢が克明に記録されていた。
シーボルト事件の引き金となった背景
江戸幕府の天文方・書物奉行であった高橋景保は、緊迫する北方情勢に対処するため、海外の最新の地理情報、とりわけロシア側が日本の沿岸をどのように捉えているかを知る必要性に迫られていた。景保はオランダ商館医のシーボルトが本書(オランダ語訳版)を所持していることを知り、その譲渡を強く望んだ。景保は本書と引き換えに、当時国外への持ち出しが厳禁されていた伊能忠敬の測定図を基に作成された精密な日本地図などをシーボルトに贈った。これが1828年に露見し、景保の獄死やシーボルトの国外追放へと発展したシーボルト事件を誘発することとなった。本書は、鎖国体制下にあっても海外の学術情報を渇望した日本の知識人の動向を象徴する一冊である。