上杉憲忠

1454年、鎌倉公方の足利成氏によって自邸で暗殺され、約30年に及ぶ享徳の乱の引き金となった関東管領は誰か?
カテゴリ:
重要度

【参考リンク】
上杉憲忠(Wikipedia)

上杉憲忠 (うえすぎのりただ)

1433年〜1455年

【概説】
室町時代中期の武将であり、山内上杉家当主および関東管領。鎌倉公方である足利成氏との対立の末に暗殺され、東国における戦国時代の幕開けとなる「享徳の乱」の引き金となった人物。

鎌倉公方と関東管領の深い確執

関東管領である上杉憲実の長男として生まれた上杉憲忠は、元服に伴い、鎌倉公方である足利成氏を補佐する関東管領に就任した。しかし、両者の間には解消しがたい深い怨恨が存在していた。成氏の父である前鎌倉公方・足利持氏は、かつて憲忠の父である憲実と対立した末に「永享の乱(1438年)」で滅ぼされていたからである。幕府の意向により鎌倉公方に復権した成氏と、その監視・補佐役を務める山内上杉家の憲忠との関係は、当初から極めて緊迫したものとなっていた。

憲忠暗殺と「享徳の乱」の勃発

1454(享徳3)年12月、足利成氏は対立が絶えなかった憲忠を西御門の自邸(結城館)に呼び出し、近臣の野田持朝らに命じて謀殺した。この不意打ちによる暗殺事件は関東に決定的な分裂をもたらした。激怒した上杉一族は、室町幕府の支援を受けて成氏への報復を開始し、これに関東の諸豪族が二分されて加担したことで、約30年にわたる大乱である享徳の乱が勃発した。これにより、関東地方は京都の応仁の乱に先駆けて、独自の戦国時代へと突入していくこととなる。

享徳の乱 中世東国の「三十年戦争」 (講談社選書メチエ)

室町後期の東国を震撼させた三十年にわたる戦乱の全貌を解き明かし、武家社会の構造的崩壊の軌跡を描き出した歴史解説の書。

関東戦国史 北条VS上杉55年戦争の真実 (角川ソフィア文庫)

関東の覇権を巡り激突した北条・上杉両氏による半世紀に及ぶ抗争の核心を、最新の研究知見から読み解く戦国動乱の決定版。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 日米修好通商条約において開港が定められたが、東海道沿いで外国人と日本人がトラブルになるのを避けるため、代わりに横浜が開港された地名はどこか?
Q. 1950年代後半の「三種の神器」と呼ばれる家電製品を、3つすべて答えよ。
Q. 家康の命でノビスパン(メキシコ)へ渡り、太平洋を横断した最初の日本人とされる京都の商人は誰か。