三菱(銀行) (みつびしぎんこう)
【概説】
大正から昭和期にかけて日本経済を牽引した五大銀行の一つであり、三菱財閥の中核を担った金融機関。岩崎家が興した三菱の合資会社銀行部を前身とし、第一次世界大戦後の1919年に独立した株式会社として設立され、昭和初期の金融恐慌を経て巨大金融資本としての地位を確立した。
三菱財閥の成長と銀行部門の独立
三菱銀行の起源は、幕末から明治初期にかけて岩崎弥太郎が興した九十九商会(のちの郵便汽船三菱会社)にさかのぼる。海運業で巨万の富を得た三菱は、炭鉱や造船などの重工業へ進出し、多角化を進めていった。その資金管理と金融業務を担うため、1895(明治28)年に三菱合資会社内に銀行部が設置された。これが三菱における本格的な銀行業務の始まりである。
第一次世界大戦の好景気を経て、三菱合資会社は各事業部門を分社化する戦略をとった。これにより、1919(大正8)年に銀行部が独立し、資本金5000万円の株式会社三菱銀行が設立された。三菱銀行は、財閥傘下の三菱商事や三菱造船(のちの三菱重工業)などの主要企業に対して強固な資金供給パイプとして機能し、三菱財閥の急速な重化学工業化を財政面から支えた。
昭和金融恐慌と「五大銀行」への資本集中
1927(昭和2)年に発生した金融恐慌は、日本の金融界の勢力図を大きく塗り替えた。中小銀行が次々と休業・破綻に追い込まれる中、預金者たちは安全性を求めて財閥系の有力銀行へ資金を移動させた。これにより、三菱銀行は三井銀行、住友銀行、安田銀行、第一銀行とともに五大銀行と呼ばれる巨大普通銀行の一角となり、預金と融資の双方において圧倒的なシェアを獲得した。
特に三菱銀行は、三井銀行が商業や貿易部門への融資に強みを持っていたのに対し、三菱財閥がリードする重工業部門(造船、航空機、化学など)への融資を中心に発展した。堅実な経営方針で知られ、昭和初期の不況期においても比較的安定した業績を維持し、国家の産業統制が進む中でも基幹産業への資金供給源としての存在感を高めていった。
戦時体制下の統合と戦後の再編
1937(昭和12)年に日中戦争が勃発し、1941(昭和16)年に太平洋戦争へ突入すると、日本の金融界は国家主導の戦時金融体制へと組み込まれた。三菱銀行は1943(昭和18)年に第百銀行を吸収合併し、その規模をさらに拡大させた。戦時下の融資は軍需産業へと集中し、三菱重工業をはじめとする軍需企業の資金調達を一身に引き受けた。
1945(昭和20)年の敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による財閥解体により、三菱財閥は解散を余儀なくされた。三菱銀行も一時は「千代田銀行」への社名変更を余儀なくされたが、サンフランシスコ平和条約締結後の1953(昭和28)年に再び「三菱銀行」の名を取り戻した。その後、旧財閥系企業の再結集(三菱グループの形成)において中心的な役割を果たし、高度経済成長期の日本経済を支え、のちの三菱UFJ銀行へとつながる基礎を築いた。