一九二八年三月十五日

第一回普選直後の共産党員一斉検挙(三・一五事件)における警察の凄惨な拷問を描き、特高警察ににらまれる契機となった小林多喜二の小説は何か?
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重要度
★★

一九二八年三月十五日 (いちきゅうにはちねんさんがつじゅうごにち)

1928年

【概説】
昭和初期の作家・小林多喜二の事実上のデビュー作となったプロレタリア文学の中編小説。1928年(昭和3年)に発生した共産党員一斉検挙「三・一五事件」における、特別高等警察(特高)による残酷な拷問の実態を克明に告発した作品。大正期に制定された治安維持法が猛威を振るい始める中、国家権力の暴力を暴き、プロレタリア文学運動を大きく躍進させる契機となった。

三・一五事件の衝撃と執筆の背景

大正デモクラシー期の1925年(大正14年)、加藤高明内閣のもとで普通選挙法と同時に制定された治安維持法は、国体(天皇制)の変革や私有財産制度の否認を企てる運動を取り締まる目的を持っていた。1928年(昭和3年)3月15日、田中義一内閣はこの法を適用し、全国で日本共産党員およびその支持者らの一斉検挙を断行した。これが三・一五事件である。検挙者は全国で1600名近くに上り、各地の警察署や特別高等警察(特高)による凄惨な尋問と拷問が行われた。

当時、北海道拓殖銀行小樽支店に勤務していた小林多喜二は、小樽の地で起きた検挙の実態、特に活動家たちに対する苛烈な拷問の事実を聞き及び、強い衝撃を受けた。多喜二は、地方の銀行員という立場でありながら、国家権力による非人道的な抑圧を白日の下に晒すべく、秘密裏に当事者らへの聞き取り調査を行い、本作の執筆に踏み切った。この実態調査に基づくリアリティが、作品に強い説得力を与えることとなった。

プロレタリア文学における意義と当局との闘い

本作は、1928年11月および12月発行のプロレタリア文学運動の機関誌『戦旗』に前後編に分けて掲載された。掲載に際しては、内務省の検閲によって多くの箇所が「伏字」(◯や✕などの記号で文字を隠すこと)にされた。しかし、読者たちは伏字の行間から特高警察の暴虐を読み解き、作品は社会に大きな衝撃を与えた。それまでのプロレタリア文学に多かった、観念的で感傷的な作風から脱却し、冷徹な事実描写によって社会の暗部を告発する「ルポルタージュ文学」としての先駆的な役割を果たしたのである。

『一九二八年三月十五日』の発表により、小林多喜二は一躍プロレタリア文学界の新鋭作家として全国に名を知られるようになり、翌1929年の『蟹工船』の発表へとつながっていく。しかし、国家のタブーであった特高警察の拷問を暴いた本作は、同時に多喜二自身が当局から最も危険視される人物としてマークされる決定打となった。大正期から昭和へと移行するファシズムの足音が近づく中で、本作は言論・思想弾圧の激化を象徴する記念碑的作品となった。

一九二八年三月十五日

治安維持法下で弾圧された若者たちの魂の叫びと、歴史の暗部を克明に描き出した迫真の群像劇。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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