マルクス主義(マルキシズム)

カール・マルクスが提唱した、資本主義の矛盾を分析し、労働者階級の革命による社会主義(共産主義)社会の実現を目指す思想を何というか?
カテゴリ:
重要度
★★

マルクス主義(マルキシズム) (まるくすしゅぎ)

1920年代〜1930年代に流行

【概説】
カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって体系化された、資本主義を批判し社会主義・共産主義社会への移行を志向する社会・経済思想。日本ではロシア革命の成功や戦後恐慌を背景に、大正末期から昭和初期にかけて知識人や学生の間に爆発的に流行した。

日本における受容と流行の背景

明治期にも片山潜や幸徳秋水らによって社会主義思想は紹介されていたが、1910年の大逆事件による「冬の時代」を経て、大正期に再び活性化することとなった。その決定的な契機となったのが、1917年のロシア革命(十月革命)の成功と、第一次世界大戦後の戦後恐慌にともなう社会不安である。資本主義の矛盾や労働問題、小作争議が深刻化するなか、これらを構造的に説明し解決策を提示する実践的な理論として、マルクス主義は急速に支持を集めていった。1922年には、非合法のうちに日本共産党が結成され、政治運動としての組織化が進んだ。

知識人・学生への浸透と学問への影響

大正末期から昭和初期にかけて、マルクス主義は日本の言論界や大学において圧倒的な影響力を持った。歴史を物質的生産力と生産関係の矛盾、すなわち階級闘争の歴史として捉える唯物史観(歴史的唯物論)は、日本の歴史学や経済学に科学的な分析視座をもたらし、知的潮流の主流となった。京都帝国大学教授の河上肇が著した『貧乏物語』や、雑誌『改造』『中央公論』などの総合雑誌、さらに岩波文庫などの普及も手伝って、知識人や「エリート」とされる大学生の間でマルクス主義の学習が流行し、社会変革を志す「左傾」化が急速に進んだ。

治安維持法による弾圧と「転向」の強要

マルクス主義運動の広がりに対し、天皇制の維持と国体の護持を最優先する国家権力は強い危機感を抱いた。1925年、加藤高明内閣のもとで普通選挙法と引き換えに治安維持法が制定され、社会主義運動への国家的一斉取り締まりが本格化した。1928年の三・一五事件や1929年の四・一六事件において、日本共産党の党員や同調者が全国で大規模に検挙された。昭和初期の軍国主義台頭期に入ると取り締まりはさらに過酷さを極め、獄中の指導者や知識人たちに対して思想の破棄を迫る「転向」政策がとられ、多くの運動家が転向を余儀なくされて日本のマルクス主義運動は壊滅へと向かった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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Q. 前九年合戦で源頼義に協力して安倍氏を滅ぼし、東北地方の支配者となったが、のちの内紛で滅亡した出羽国の豪族は何氏か。
Q. 大宝律令の中央官制において、「二官八省」とともに置かれた、役人の不正を監視する「弾正台」を指す言葉は何か?
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