ナショナル・バンク
【概説】
アメリカ合衆国において1863年の国法銀行法に基づいて設立された、連邦政府の特許による民間銀行制度。明治政府の大蔵官僚であった渋沢栄一らが、日本の近代金融制度の基盤となる「国立銀行条例」を制定する際に直接のモデルとした制度である。
アメリカにおける「ナショナル・バンク」の誕生
19世紀半ばのアメリカでは、各州の法律に基づいて設立された州立銀行が独自の銀行券を発行しており、通貨の統一性が欠如していた。こうした中、南北戦争の戦費調達と通貨の安定を目的に、1863年に国法銀行法(National Bank Act)が制定された。この法律に基づき、連邦政府の認可(特許)を得て設立された民間銀行が「ナショナル・バンク(国法銀行)」である。ナショナル・バンクは、購入した連邦政府の国債を担保として政府に預け入れることで、国債額面に応じた統一的な「ナショナル・バンク券(国法銀行券)」を発行する権利を与えられた。これにより、中央銀行を持たないアメリカにおいて、事実上の全国統一通貨が供給されることとなった。
日本の「国立銀行条例」への導入と渋沢栄一
明治維新後の日本は、戊辰戦争の戦費や新政権の維持費を賄うために乱発された不換紙幣(太政官札や民部省札など)の整理と、金本位制に基づく近代的な金融制度の確立が急務であった。大蔵少輔であった伊藤博文は、当初イギリス風の単一の中央銀行(兌換制度)を支持していたが、アメリカ出張中にナショナル・バンク制度を学び、民間資本を活用して速やかに兌換制度を確立する手段として、この制度の導入を主張した。
大蔵少輔代理の渋沢栄一らは、このアメリカの制度を範にとって法案を起草し、1872年(明治5年)に「国立銀行条例」を制定した。日本の「国立銀行」という名称は、アメリカの「ナショナル・バンク」の直訳に由来する。そのため、「国公立」の銀行ではなく、実際には国法(条例)に基づいて設立され、紙幣発行権を持つ民間銀行であった。しかし、日本での導入当初は金兌換の義務が厳しく、正貨(金貨)の流出を招いたため、1876年の条例改正によって不換紙幣の発行を認めるまで、国立銀行の設立は本格化しなかった。