チェコスロヴァキア軍(チェコ軍団)

日米などの連合国が、ロシア革命に干渉するシベリア出兵を行うにあたり「救出」を大義名分(口実)とした部隊は何か?
カテゴリ:
重要度
★★

チェコスロヴァキア軍(チェコ軍団) (ちぇこすろゔぁきあぐん(ちぇこぐんだん)

1918年

【概説】
第一次世界大戦期、ロシア国内において孤立し、日本を含む連合国がシベリア出兵を行う直接的な口実となった軍隊。オーストリア=ハンガリー帝国からの独立を求め、ロシア側で戦ったチェコ人とスロヴァキア人の義勇兵によって構成されていた。

ロシア革命とシベリア鉄道における孤立

第一次世界大戦において、チェコスロヴァキアは同盟国側であるオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあった。自民族の独立を希求するチェコ人やスロヴァキア人の兵士たちは、敵国であるロシア(協商国側)へ投降、あるいは亡命し、ロシア軍に協力して戦う義勇兵部隊であるチェコ軍団(チェコスロヴァキア軍)を結成した。

しかし、1917年にロシア革命(十月革命)が勃発すると、政権を握ったボリシェヴィキ(ソヴィエト政権)は翌1918年にドイツとブレスト=リトフスク条約を結び、一方的に戦争から離退した。東部戦線を失ったチェコ軍団は、フランス(西部戦線)へ移動して戦闘を継続するため、シベリア鉄道に乗って極東のウラジオストクへと向かい、そこから海路でヨーロッパへ帰還するルートを選択せざるを得なくなった。この大移動の途上、武器の引き渡しなどを巡ってソヴィエト政権側(赤軍)との間で武力衝突が発生し、チェコ軍団はシベリア鉄道沿線を実質的に占拠して孤立する事態となった。

シベリア出兵の「大義名分」への転化

チェコ軍団の孤立とボリシェヴィキに対する反乱は、ロシア革命の波及を恐れ、革命政権を圧殺したいイギリスやフランスなどの協商国にとって、格好の軍事介入の機会となった。協商国は「人道的な観点からのチェコ軍団救出」を大義名分に掲げ、アメリカや日本に対して共同出兵を提案した。

これに応じた日本(寺内正毅内閣)とアメリカは、1918年8月にシベリア出兵を宣言して兵を動かした。しかし、他国がチェコ軍団の救出という当初の目的を重んじたのに対し、日本はシベリアにおける勢力圏の拡大や、反革命政権の樹立による共産主義の防波堤構築を目論み、連合国の中で突出した約7万3000人もの大軍を動員した。1920年にチェコ軍団がウラジオストクから無事に撤退を完了し、英仏米などの他国が速やかに兵を引いた後も、日本軍だけは1922年まで出兵を継続し、国際的な孤立と巨額の財政負担を招く結果となった。

シベリア出兵: 革命と干渉1917-1922

ロシア革命の混乱期に日本が直面した未曾有の軍事介入の全貌を、史料に基づき客観的に描き出した歴史学の重厚な一冊。

シベリア出兵 – 近代日本の忘れられた七年戦争 (中公新書 2393)

複雑な政治背景と泥沼化した戦場の実態を丹念に掘り起こし、近代日本の対外政策に影を落とした七年戦争の真実を問う書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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